小岩嶽城址は、長野県南安曇郡穂高町大字有明字小岩嶽に位置する。その小岩嶽部落の山麓側を通る千国街道から山手に向かって300メートル程入ると、南北10アール程はあろうか、其処だけが別世界のように照射された空間をつくり、枯れ果てた桜の古木、苔むした躑躅の幹が400年前の往時を偲ばせてくれる。
この地において天文年間の戦国時代、時の城主小岩盛親は、甲斐の武田信玄率いる3000の軍勢と互角に戦い、3ヶ月に及ぶろう城を耐えたのである、それは、信玄も予想しなかった水源にあった。
この水源については、小岩嶽城からさらに奥へ1キロ、富士尾山の中腹から杉の丸太をくりぬいた木管によって水を引いてきたという説がある。
ある日、武田方の武将が川で洗濯をしている老婆を見つけ、お城の水は何処から引いているのかと訪ねた、老婆は口を硬くして一切打ち明けなかった、しかし度々武将が訪れては褒美の話を持ちかけてきた。老婆はついその褒美に目がくらみある情報を武将に教えてしまった・・・。
骨肉の争いとも伝えられているこの戦い、老婆の実像が誰であったか、弱肉強食の時代の人間臭さと相まって安曇野の歴史はつくられた。仮に小岩嶽城が存命していたらどうであったか、安曇野一帯も今とは違った社会が生まれていたに違いない。戦国武将への想いを重ね、最後まで忠節を守った小岩嶽城主小岩盛親への興味は尽きない。
2001年6月作成 著作権 UZU kiguchi/hiroshi