21世紀を迎えて |
序文
20世紀は様々な変化を我々に与えてきた。世紀末の90年代はバブルの崩壊で景気が低迷の一途を辿り各界の関係者はその対応に躍起となった、しかし依然として変化はない。
結果でいうのではないが今が日本の普段着の姿ではないかと思っている、使い捨ての時代、飽食の時代は終わったのだ。物を倹約する、それが大切なことはこの地球上に住む者の規範でなくてはならない筈だ。
医学の進歩は人類にとって果たして何をもたらしたのだろうか。ネズミやモルモットといった小動物を実験台に幾多の命を奪ったことか、また生命の自然の流れを無視した医療が果たして社会のためになっただろうか、介護を必要とする高齢化社会は決して正常な社会ではないのである。
昭和30年代初期のテレビが出始めた頃だったか、ある映画の場面で「テレビは人間を駄目にする」といった意味のセリフを思い出した。テレビは便利だ、居ながらにして野球が観戦できる、そのことだけであれよあれよと半世紀が経ってしまった。
社会のためにならない映像や情報の過多が暴力や犯罪を引き起こし、一方通行の映像や情報が人間本来の本能である考察力所謂自分で判断するといった能力の低下を招いている。
自動車社会は歩くという基本的なことがなおざりになり、迅速性の向上は社会をあわただしく掻き回し、交通戦争と公害という戦禍を生んだ。
コンビニの登場は、昼も夜も区別のない社会をつくり、いつでも食べられる、いつでも何かがある、そうした時間感覚のルーズさが生活リズムの堕落を促し、人間の生態系まで脅かしている。
何処にいても話せる携帯電話の登場は、中高校生達子供にとっての格好の遊び道具として人気を呼んでいる。だがその付けは性風俗への堕落と家離れの現象を加速させ、また、電子メールの付加価値はより仲間意識の緊密化と大胆な自己主張を煽り、その結果思わぬ事件を誘発している。インタネットオークションに見られる不正取引、殺人や自殺幇助に類似したデータの提供等、誰でもが何処からでも手に入る情報の罪である。
昨年来急速に現れたIT革命もその例外ではない、推進者たちは便利さや必要性だけを強調している、がその裏の危険な部分には臭いものには蓋をせよ式に触れていない、もっと危険なのはそのことに気づかずにいることだ。IT革命は、一部の企業一部の人間に一時の恩恵を与えても、中小の企業や一般人にはその負担が余りにも大きい。また、アメリカに倣えのアメリカ版コピーであるならばなお一層社会を混乱に陥れるだけである。
踊るロボットの登場も科学の進歩を裏付けている、研究開発の妙薬の味はなかなか捨てられない、今度は何を、どうする、研究者の頭脳は常に先ばかり見ている、振り返って戻るという大事な勇気が欠けている。
新しいものへの要求、これも人間の本能なのだろうか。如何に使い如何に捨てるかといった取捨選択の能力が要求されてくる。その判断を誰がどうつけていくのか、企業ではない、政治でもないそれは我々自らが判断していかねばならないことなのだ、誤ると人類滅亡の危機に陥らないとも限らない。21世紀の最重要課題はここにある。
肝臓移植と老夫婦の死(93年度記事より)
九州大学医学部第2外科で、肝移植を受けた50歳の男性が死亡した、術後73日目であった。結果から言うのではないが、何のための移植手術だったのか考えさせられた。病院の名誉のためか、患者獲得のための競争社会が生んだ事件とみた。寿命という自然の掟を破ってはならない結果である。医学の発展のため、人類の幸せのためと嘘ぶいてはこうした競争社会を生み、多額の医療費が費やされる。病院側も患者側も節度を考え、適切な判断を下し無理な医療は慎むべきである。医は仁術であらねばならない、死の尊厳は自然体であり、寿命を全うした暁にこそある。
厳冬の中、北海道旭川市のアパートで、二人暮しの老夫婦の死が報道された。死因は、夫は凍死、妻は急性心不全である。痴呆症の夫を看病してきた妻が倒れた、なすすべもなく夫もそのまま凍死したという。なんとも痛ましい結末である。
だが、これが人生なのではないか、82歳の夫、76歳の妻、互いに助け合って生きてきたであろう。誰の世話にもならず寿命に向かって歩んできたのである。子供や孫達に囲まれ賑やかに暮らしたいと誰しもが願う、それは願いの範疇でよいのである、無理して同居しても決して豊かな老後は保障されまい。
この夫婦にいかなる事情があったかは判らないが、夫婦水入らずの生活そして死を迎えたことは、何にも増して素晴らしい。傍からみれば寂しい生涯と受け取られようが、本人にとってはどうであろう、悔いのない生涯ではなかったかと思う。我々は、こうした結末を恐れてはなるまい。自然体の死、寿命をまっとうするとはこうしたものであろう。
夫の看病で疲れ果てた妻の死、人間として欠落した夫の生、生ある者の宿命といえる最後である。来世はきっと素晴らしい人生が待っている、御二人の冥福を祈る。
痛ましい生徒の死
部活動で、顧問の教師の度重なる体罰に、「叩かれるのはもうイヤ」という遺書を残し自宅で自殺したという事件は、正に氷山の一角に過ぎない。学校における部活動の一面を垣間見る思いである。
両親が県と教諭本人を相手取って起こした損害賠償に対し、岐阜地裁は、「違法な体罰であった」と認め、県に賠償の支払いを命じたが、教諭本人への請求は却下した。その理由として、裁判長は、教諭本人の違法な体罰度重なる侮辱的発言、自殺前日の長時間にわたる説教のすえ、練習への参加を認めなかったことが自殺の原因の一つであるが、自殺との直接的関係は認められない、さらに、体罰が自殺の遠因であるが、教諭には自殺するという予見までは出来なかった、と述べている。予見できなかったとはどういうことか、予見できていれば自殺幇助ではないか、と怒りが込み上げてくる。
この教諭の場合、普段から竹の棒を持って殴るなどの体罰をしていたという、根性を鍛えるためといったスポーツの世界にありがちな行為として感受してはならない。教諭個人を厳しく律せず、組織にその責任があるといった判断、教育現場の中で教諭という一個人を小さな存在として扱っていることが問題なのである。顧問と言う指導的立場を、自分の感情の捌け口に利用したに過ぎない。多感な年頃の女子高校生の自殺を、違法な体罰と直接的因果関係はないとした岐阜地裁の判決は、果たして適正であろうか。
(93年度記事から)
栃木県の中学校では、「抗議として死の道をとる、暴力を奮う先生と一緒に居たくない、これ以上犠牲者を出したくない、この先生を許すことのないようにしてもらいたい、そうすれば明るい学校になる・・・」などの内容の遺書を残して首吊り自殺した男子生徒の場合、もう何も云えない。
如何なる理由があったにせよ、この中学生の遺書から察すると、中学生は非情に我慢強く、正義感と責任感のある優秀な人材の生徒であったと想像する。
この事件を覗いてみれば、正しく今の社会の縮図とは云えないか、真摯に生きる人間は周りから疎んじられ、大声を上げてでしゃばる人間が、社会でも企業でもその重要な職に就いていないかである。真に立派な意見を持っている者はやたら発言をしない、周りの意見を聞いているのである。昨今の企業は、そうした人間をリーダーとしてふさわしくないといった評価をする。目立ちたがり屋、自殺した少年にそのかけらも見られない。
(93年度記事から)
今、この教師達はどうなっているのだろうか、一片の過ちが人生を狂わしていないか、あるいは教職という組織のもとで保護され、平然とその職についているのか、教師の立場では暴力ではなく教示のための体罰であったかもしれない、行なう側、受ける側の信頼関係がないと教育にはならない、そこに現在の教育の退廃をみる。
教育の本分
教育とは、字のごとく「教え」「育む」ことである。この両輪を駆使することが大切なことはいうまでもない。
幼い頃、こんな話を聞いた。少年がリンゴを持って家に帰ってきた、母親は,そのリンゴ どうしたの、と聞いた、少年は道である人から貰った、と答えた、母親は何処の誰とも聞かず、それはよかったね、といって少年と二人でリンゴを食べた、次の日も少年はリンゴを貰ったといって母親と一緒に食べた。少年は、母親のよかったね、という嬉しそうな顔が見たくて、度々リンゴや柿を貰ったといっては持ってきた。
それから何年か経ち、成人した息子が罪を犯し刑場に送られてきた、一目逢おうとしてきた母親の姿を見た息子は、役人の手を払い母親めがけて走った。そして、母親に、なぜ、小さい時リンゴを盗んだ俺を叱ってくれなかった、といって母親の耳を喰いちぎった、という話である。
三つ子の魂百までもの例えである。教育とは、こうしたものではなかろうか、幼い時が大切なのである。家庭を離れ社会へと進出した母親の存在は、決して正しい選択ではないのである。経済的事情から止む無く共働きを選択する家庭は過去にもあった。
しかし、もっと豊かに、もっと会社で働きたいといった願望と、アメリカナイズされた考えがマスコミやジャーナリスト達によって運ばれ、男女均等雇用法といった法を生み、益々母親達の家庭離れを増長していった。これでは、教育現場の教師がいくら頑張ったところで片手落ちになる、「育む」という大切な輪が欠けているのである。
子供にとって、我が家は心の拠りどころでなくてはならない。学校で嫌なこと、つらい事があっても家に帰れば母親がやさしく迎えてくれる、相談にも乗ってくれる、そんな家庭が必要なのではないか。母親の大切な仕事は、企業や社会で働くことではない家庭にこそあるのだ。
国としての経済的援助の道はここから出発せねばならない、扶養手当でなく、母親としての報酬、扶養家族でなく扶養する立場であることを明確にして、国や企業は後ろ盾になっていくことが大切なのである。
そして2001年の今・・・
戦後の処理問題は今世紀も続くのか、7年前、公衆トイレに書かれてあった従軍慰安婦の問題、従軍慰安婦は韓国国家の命によって召集された、彼女たちへの支払いもその時全て終わっている・・・といった内容の落書きだったが、思い出すたびそうなのだ、戦争は一国家のみの責任ではない、戦争による国家間の感情は、思いもよらぬ方向に歩いていく、形こそ違え、国際スポーツにおける母国への声援、国民感情と似ているのではなかろうかと・・・
敗戦国日本にその責を押し付けている団体やNGO、彼等は本当に戦争の現場を体験した人たちなのか、半世紀たった今、それを語れる人間は極少ないし記憶も薄れ真実を得るには難解の筈だ。噂や、誰彼の偏った情報だけが彼等の脳裏に叩き込まれていないかである。
昨年NGO主催の国際戦犯法廷では従軍慰安婦問題を取り上げ、日本政府に謝罪と損害賠償を勧告したという。裁判官は全て他国の著名人達、性暴力という一面を国際法に照らし判断するといった短絡的な方法のもとである。
戦争という戦禍は従軍慰安婦達のみではない、わが国においても原爆の被害者達をはじめ、シベリヤ抑留の末抹殺された人々、米軍相手の売春に泣いた人達を忘れてはなるまい。戦禍は思いもよらぬ目立たないところに波及している、反日感情を煽り机上論を掲げ、半世紀経った現在において活動をしている彼等に警告したい、戦争の終結は重箱の隅を突っつき合うようなことでは終わらない、過去は過去として認識の中に納めこれからの平和のために何ができるのか、どうするといった命題を持って取り組むことが必要なのである。