一隅の光となるか参政党の出現

日本第一の理念を掲げた参政党の出現がわが国にとって一隅の光となるかが今回の参議院選である。今や観光地はもとより国内の土地など不動産までもが外国人の手が伸び日本が日本でない日本が目の前に迫ってきた、そこへ日本第一主義を掲げ日本を守り日本のためを目指す参政党の出現はこれまでの政党にはないわかりやす政党に映った。

資本国家である日本その資本主義の是非を問い新しい民主国家であり資本主義国家を掴まなくてはならない時代である。資本家という資本国家の独裁者をなくし誰もが資本家であるための実現に向けて取り組むべき時代である

例えば企業を見ても資本を独占しているのが社長であり重役ポストである。もっと下げれば部長であり課長である。考えれば会社が成り立っているのは彼らの力ではなくむしろ部品のように働いている一社員に他ならない。その社員たちが働かなければ会社は存続しない、例えば社長が何らかの理由で一ヵ月休んでも会社は成り立つだろう。ところが社員が一ヵ月休めば会社は成り立たなくなる。

これひとつとっても社長も大事だろうがそこで働く社員の方がもっと大事である。ところが報酬はどうかというと社長の方がはるかに多くの報酬を得てきた。ここに不平等な仕組みがあった。なぜそれに気づいても正そうという力が働かなかったか、それは日本人の気質といえようか長い物には巻かれろの精神が培ってきたからだ。

社長も社員も同じ重要な労働者に変わりない、先ず企業はそこにメスを入れて資本の独裁者をなくし平等な分配を図っていく。また国としてどうあるべきか貧富差がなぜ大きくなってしまうのか、全てが企業ばかりか独裁者の存在があるからだ。

日本のための日本人による政治を参政党に期待したい。遅すぎた感がある、日本国土を戦争から守るといった絵に描いた餅の議論で軍備増強を奨めアメリカべったりの政治が海外支援を余儀なくされてきた。アメリカもトランプ時代に入り自国第一を目指すという、ならば日本も自国第一をモットーにアメリカはもとよりロシア中国など共産圏の国とも対等な友好関係を築く、それが政治家のこれからの使命と考えなくてはならない。

共産主義国家だから民主国家になりえないことはない、国家の代表議員を国民が選べば何ら問題はない、だが民主国家と雖も国民の選んだ政治が必ずしも民意を重んじ政治に生かすことは口先だけで必ずしも実現されないことも事実である。沖縄基地返還を求める民意は多いがその実現すら一向に進まないではないか、これが民主国家といえるか、広島長崎の原爆投下、核兵器廃絶の運動に日本はなぜ批准に向けることができなかったか。

民主国家と雖もできなことはできないのである、民意を政治に反映するためには従来の考えから脱皮した政治家の出現が欲しかったのである。日本を守る日本第一の新しい考えこそ民意の反映を実現できる政治姿勢ではないか、その一端が参政党の主張する日本第一の考えと重なる。期待したいものだ。



2025.6


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