困ったもんだテレビ、メディアの情報と力

江藤農水相辞任のニュース、後任は小泉進次郎氏、石破氏もよく考えたものだ。ところで江藤氏の米発言、取るに足らない発言と思っている、地方では余り過ぎる米を昔から売るほどあると例えて話すことなど当たり前のことだ、それをその部分だけ引用して記事や言葉で流せば受け取る側の多くは何と人を食った発言と怒るだろう。

当たり前の発言が当たり前でないご時世を嘆くのである、社会が悪くなったともいえるし情報を提供するメディアのあり方が気になるというものだ。噂を流すそれが真実でも嘘っぱちでもこれを止めることはできない。昔から「人の口には戸を立てられない」といわれるように流された情報はシャットアウトできないということだ。そのため嘘っぱちの情報で何人もの犠牲者が出ている事も確かだ。

最近ではメールやSNSからの嘘っぱちの情報で自殺する子供たちなどもその例でこれを食い止めるにはどうするかが課題となって久しい。だが抜本的解決はされてこない。あくまで情報を流す本人のモラルの問題となってくる。

誠に厄介なのがこの情報の蔓延である、どれが本当で嘘かの判断も年々難しくなってきた。それはそれを流す手口が巧妙化してきたからであろう。詐欺ばかりか犯罪など情報の手段を悪用したものは後を絶たない。

テレビというメディアもその例に洩れまい、というのは情報を正しく把握し審査して流すことを行っているかである。情報の欠陥は遅ければ何の役にも立たない、速いことがまず第一であるからだ。テレエビでも時々訂正を入れていることから判断しても誤った情報は避けられないということだろう。困った問題はここにある。誤ったっと訂正しても一度流したものを元に戻すことは難しい。

現在米の問題をテレビ各社は挙って取り上げているが、少し前までは米のことなど取り上げてこなかった。なぜかそれは社会が米価に関心を持っていない時代であったからだ。だがメディアとしては一般人より情報を得ることはできた筈だ。米農家と個人事業者間の生業、流通経路の変わりようといったこと、さらに観光客の増加に伴い米の需要が飲食店業界や宿泊業界に広がっていく有様は得ることができた筈である。

仮にそうした情報を流してきたなら政府もおちおちとしてはいられず対策に前向きになってきただろう、とすれば何らかの改善策や規制によって米価の高騰を防ぐことはできた。たらればの話であるが、本来情報というものは事前に知り得たものを社会に流すことも重要である。

しかしその情報が外れたとすると大きなリスクを伴い逆効果を生む、情報の扱いをどうするかは永遠の課題となるのか。嘘っぱちな情報だけは避けたいにも競争社会の激しい今日何処より速くが優先されるメディア業界では難しい問題である。困ったもんだの一言だ。

ついでに先の江藤氏の辞任の記者会見で世襲ということへの質問が浴びせられた。現江藤氏の父親の当時の映像であったが「世襲をどう思われますか」の記者の質問に「父親は「バカヤロウ!」と記者を怒鳴りつけた。胸がすっとした、というのは今こうした議員は皆無であるあからだ。議員たるものはそれなりのプライドと誇りがなくてはならない。記者のくだらない質問に対して「バカヤロウ」と怒鳴った。

当時は議員たちの発言がどうのこうのと目くじら立てる人間がいなかったからだ。大らかだった。またメディアもそれを常識の範疇に収める度量を備えていたからだ。こうした大らかさが人々にも必要ではないかと常々思ってきたから胸がすっとしたのである。

昨今セクハラだパワハラだカスハラとハラスメントの言葉が飛び交う時代になってしまった。多少のことでも目くじらを立て民衆を巻き込んでいくテレビメディア、困ったもんだどうにかならないかと思う次第である。


2025.5


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