人間をだめにしたテレビメディたち |
中居正広問題は明らかに事件である。不同意性交事件として告訴されてしかるべき問題が業務上のトラブルとしてフジテレビ側の責任に終始した。相手が大物かどうかなど問題ではない一人の人間である。若い女性それも容姿端麗な女性を接待用として宴席につかせることは他にもあると認め、今回の女性とのトラブルを業務上のトラブルとした判断が果たして正しいのか社会から受け止められるのか考えてなくてはなるまい。
テレビ時代のタレントたちは一躍スターとして扱われる、ここに人間としての形成が不十分なまま育て上げられその結果が今回の事件に表れているといってもよい。スターという名が彼を増長させ何事も思いのままのような性格が育まれ今回の事件を引き起こしたといってもよい。
タレントとの交際宴席への招待など女性にとってはその扱いを否定する者もいようが大半は仕事のためと割り切るものもいよう。テレビという映像メディアは一日にしてスターに押し上げることもできるが、一気に奈落の淵へと落とすこともできる。噂を噂として流すだけで視聴する側は信じてしまう、まさに魔物的存在がテレビである。
テレビが開局した当初「テレビは人間をだめにする」といったセリフの映画があった。子供たちは勉強どころかテレビにかじりつき終日テレビのとりこになっていくことへのセリフかもしれない。今回の中居正広事件はテレビは人間をだめにする一方の結果とも受け取れ多くの犠牲者を生んできたに違いない。
また、業務上のトラブルと判断されたのは上下関係が強い、権力が強いといったテレビ界の内情から判断されたとすればそれはどこにでもありうる問題で、会社や取引先といった仕事上の上下関係、損得絡みの権力関係はいかなる社会でも存在し、何もテレビ業界だけの問題ではあるまい。
中居正広と女性との間に何が起こったか、女性がなぜ一人で中居宅に出向いたのか、女性の話では中居から誘いの電話を受けたが断ることができなかった、何故なら中居は会社にとって大切な人だからと述べていたが、これを第三者委員会は業務上と指している。こんなことは当たり前でそれは女性がどうとるかによってであって、断り切れない理由は他にもある。
仮に同じ状況下で中居本人でなく他の人物だったらどうか、性暴力にいたらないケースもある、ここが一つの焦点でなければならなかった。つまり中居の行為は自らの欲望を成し遂げるための行為であって、業務上であれプライベートであれ関係のない不同意性交事件である。何故告訴を受けず今日まで至ったのか、9000万円という慰謝料の意味は何かである。
そこにはテレビの存在がある、フジテレビばかりか他のテレビも中居正広には多くの世話を受けた、その見返りとしてテレビ側の責任にすり替えたといってもよい。ここが魔物としてのテレビの恐ろしさと力ではないか。一般人なら性暴力が発覚した時点で刑事告訴を受け裁判沙汰に移行する、いかに大物タレントと雖もその例を免れる理由はあるまい。
2025.4