誰のための第三者委員会、中居正広事件

中居正広問題は明らかに事件である、性暴力という刑事裁判にかけられてしかるべき問題が業務上からのトラブルとしてフジテレビ側の責任に終始した。相手が大物かどうかなど問題ではない一人の人間である。若い女性それも容姿端麗な女性を接待用として宴席につかせることは他にもあると認め、今回の女性とのトラブルも業務上のトラブルとした判断が果たして社会から受け止められるのか考えて欲しい。

上下関係が強い、権力が強いといった観点からの判断だとすればそれはどこにでも起こりうる問題で、会社内や取引先といった仕事上の上下関係、損得絡みの関係はいかなる社会でも存在し同様な事件は起こりうる、何もテレビ業界だけではあるまい。

過去に朝日新聞の女性記者が取材のため当時の官僚と会食を重ねセクハラ被害を訴えた。これなど明らかに業務上のトラブルであるにも関わらず朝日側には何の責任や咎めもなかった。さらに女性記者は録音機をもって官僚の言動を録音していたという事実を知ればなおさら朝日新聞という体質の悪さを咎めなくてはならない。これはフジテレビ以上の業務上の問題ではなかったか。

中居正広と女性との間に何が起こったか、女性がなぜ一人で中居宅に出向いたのか、女性の話では中居から誘いの電話を受けたが断ることができなかった、何故なら中居は会社にとって大切な人だからと述べていたが、これを第三者委員会は業務上といっている。こんなことは当たり前でそれは女性がどうとるかによってであって、断り切れない理由は他にもある。

仮に中居本人でなく他の人物だったらどうする、事件など起こさないケースもあるだろう、ここが一つの焦点でなければならなかった。つまり中居の行為は自らの欲望を成し遂げるための行為であった。これは業務上であれプライベートであれ同等に扱われる事件である。ある質疑で第三者委員会は性暴力は認めたがそれが法的問題になるかについては言葉を濁した。

記者会見を見る限り(コマーシャル入りにも参ったが)第三者委員会の弁護士たちには正義感が欠けているのではないか、フジテレビ局ばかりか同様なことはテレビ界にはありうると認めながら何故業務上に拘ったのか、中居正広と女性との間の個人的な問題として結論を出すべきあって、フジテレビ側の責任は事件とは切り離し業界全体の問題として取り上げるべきであった。

2025.3


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