誰ための観光地か猛省を乞う

経済優先金かね金の日本社会、今や観光地は外人部隊一色の様相である、そのために案内板から駐車場、施設の改造と外人部隊のための経費が費やされている。誰がための観光地か、と質すのである。

京都といえば観光名所その京都でさえ外人部隊一色でそのなかに日本人がまだらのように少数混じっている。地元では観光客対策に追われマナーの悪さに憂鬱な日々を過ごす地元住民。これでよいのか考えさせられる。

グローバル社会と嘯き観光で経済をまわすという悪徳政治が日本をだめにしつつある。寺社仏閣、景勝地は日本古来からの慣習は失われ一部には音楽活動の拠点にまでなり下がった寺社も増えてきた。

京都には歴史のにおいが感じられてきた地も外人部隊のきな臭さのため二度と訪れる気がしない。線香の香りも杉木立の香りもきな臭く紅葉もおちおち眺めていられない。特に外人部隊のマナーの欠如、奢り高ぶる行動には目を背ける。

誰がための景勝地であり寺社仏閣か、日本に生まれ育った者たちのものでなくてはならない筈だ。経済優先政治がすべての日本の伝統文化を凌駕する、そのことに異を唱える政治家はいないのかと嘆くのである。

日本人のための日本人による景勝地、寺社仏閣こそ最優先でなくてはならない。誰のための観光地か真摯に考え改めなくてはなるまい。金金金の社会は悪しき社会を増長させる何物でもない猛省を乞うものである。

2025.3


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