見下す給付政治、悪しき年金制度 |
ここ数年低所得者層と位置付けている住民税非課税世帯への給付金の支給が後を絶たない。十年前にはこうした給付金はなかったのではないか、それがどうしたものか低所得者層と差別化し給付金を支給する。これを善意の施策と取るか見下すお恵みととるかは給付される側の判断であって、ありがたいと思う人見下されたと腹を立てる人ひと様々であろう。
なぜこうした差別化した社会になったかを考えなくてはなるまい、課税対象とした富裕層という世帯の優越感を煽り納税することへの満足感を掻き立てるのか、とにかく富裕層低所得者層と差別用語を使い分ける政治は悪しき政治である。
給付金にせよ、一回3万円が上限だが3万円を給付されてどの程度暮らし向きが上がるというのだ、ここにも対象外となった富裕層もどきの政治家の姿勢が浮かぶ。施しといわんばかりの姿勢である。
このような政治は時代錯誤も甚だしい政治姿勢の何物でもない。封建社会の貧富差をそのまま現代社会に当てはめた施策といわざるを得ない。一世帯に3万円のお恵みがどの程度の効果があるのか良識をもって考えてもらいたいものだ。
正に人気どりばら撒き政治そのものである。その前になぜこうした格差社会になったのか考えなくてはならない。非課税世帯の3分の2は65歳以上の高齢者ともいわれる。つまり年金受給者である。年金も国民年金にあっては40年間加入しても月額6万円少々、厚生年金にしても月額15万円未満の世帯が多数を占める。この年金の在り方自体不公平な制度ではないか。
年金は社会保障制度の中にあって、ゆりかごから墓場までの保障である。厚生年金にしても現役時代の給料が基本となって年金額が決まる。よって給料を多くもらうものが必然的に年金も多く受け取れるというこの考えを改めない限り年金受取額の格差は無くならない、つまり現役世代高収入で暮らしているものは老後に至っても高収入で暮らせる。反対に現役世代に低収入の者は老後になっても低収入で暮らさねばならない。ここに問題があるのではないか。
これが老後における社会保障というものか考えなくてはならない。今国会でも年金制度の見直し案も声はすれども姿なしで終わってしまった。誰もがまともな年金制度を考えれば今の制度は改めなくてはならないことは承知している。だが・・・
議員生活10年勤めれば年金も300万を超える額が付く、非課税どころではない厚生年金40年加入の平均年収250万円を上回る額である。このことが改革をためらう一因だとすればもっての外だが・・・。夫婦二人で老後いくらあれば安心した暮らしができるのか、月額10万円そこそこでは不安である、方や月額50万円以上なら安心だろうが、多く貰い過ぎていないかである。
食費をとっても夫婦二人なら月3万から5万円あれば十分だ、その他病気や終活の費用としてどのくらいが必要か、しかし人間の生活は衣食住が満たされていればそれで十分ではないか、欲を言えばきりがない。とすれば月額20万円から30万円あれば十分満たされた生活が送れるはずだ。
年金制度の見直しはここにある、現役時代の収入ではない、夫婦二人の老後の生活費を基準とした制度に一律決めることが平等社会のあるべき姿である。月額50万円以上受け取る夫婦世帯の廃止と月額10万円未満の夫婦世帯の20万円への底上げが新しい年金制度としなくてはならない。ということは上限は月額40万円、下限は20万円ときめるべきである。これによって現行の給付金といった見下すような差別化政治は不要である。悪しき社会から良き社会への転換こそ必要である。
2025.3