選挙の妙、メディアの介入、自民党総裁選

正に選挙の妙である、9人の候補者から高市、石破両氏が群を抜いて勝ち残り決戦投票となった。党員選挙では断然有利だろうと予想された石破氏が得票数では高市氏に水をあけられたが、県単位の結果は石破氏が26対21で上回った、これも妙といえば妙である。一方議員選挙では高市氏優勢の予想が石破氏が僅かの差で高市氏を抑え勝利への原動力になった。こうしてみると予想はあくまで予想で悉く外れたといってもよい。

党員からの支持が両氏の半分にも満たない小泉氏が、議員による投票では両氏を抑えトップの票を得たのも妙である。そもそも議員と党員は一蓮托生の身でありながら、ここにきて大きなギャップ差が生じたのである。その結果が二回目の決選投票で予想に反し石破氏への投票となって表れたといってもよい。

ここにひとつすっきりしないいことが脳裏をかすめる、一回目の選挙でトップだった高市氏がそのまま総裁として選任されれば何のこともない誰もが納得がいく、しかしこれでは不満が残るという人間やもっと公平性を高めるため二回の選挙が必要という人間が生まれよう。所詮公明正大な選挙と雖も何らかの駆け引きやからくりが生まれるのも人間の業がなすことかもしれない。これなど陸上マラソンの選考に似て公平性にかけている点でも両者は似ている

選挙を占う上で重要なカギのひとつにテレビなどメディアとの関係がある。物事をはっきり言い切る高市氏の性格はメディアから敬遠されていた。他方石破氏はメディアの受けがよく戦前でも石破氏の有利説の情報ばかり大きく報じてきた。自民党議員の中には次期選挙を睨んだ時、メディアを味方にする方が断然有利と思い込んでいる議員票が石破氏に流れたのではないかと考えられる。

それにしても開票作業をテレビではあるが目の当たりにしてなんとお粗末な危なっかしい手つきで集計しているものだと、集計が終わると、投票用紙の入った黒塗りの箱を管理委員に確認させたまではよいが、その後会場からも目の届かない舞台裏に運んで行った、これは何のためなのかと、。AIの技術云々の時代になんとも古い習慣が蔓延んでいたものだ。

個人的にはこれからの日本は今までの岸田政権のようなアメリカのかばん持ち内閣ではなく独立国として日米地位協定の見直しを図り、対中国ロシアとの国交を回復し隣国同士の手綱を握れる外交姿勢が重要でその任は女性であっても高市氏の手腕に期待していた。

残念ながら女性初の総理大臣の誕生は叶わなかった、国会議員の中には未だに一国の総理大臣は男性と思い込んでいる人間もいるだろう。またアメリカとの関係もこれまで通りアメリカの属国として事なき安定的な外交をと考えている議員たち、、そうした議員が石破氏に投票したであろう。石破氏は「岸田路線を守り云々」と会見の席上表明したが彼の本心は今までの自民党でない自民党をつくるのが目的であるはずだ、日本の一隅を照らすのも石破氏の考えであろう。期待したいものだ。

それにしても選挙を見据えての結果と報じているが、馬鹿も休み休みにせよといいたい、石破氏に投票した議員たちは何を考えているのか、選挙より政治の中身が大切であろう。己の首を案じて石破氏に投票したならばこのような議員は政治家としての資質がない、それにしても政治の質を変えるために代表を選ぶといった気概がなかった。党員と議員の温度差、これでは自民党は早い時期に分裂状態になろう、石破政権も長くはもたないということだ。

もう一つ指摘したいのはメディアと政治の癒着である。発言問題など悉くメディアから上がったものばかりで発言者はそのためびくびくしていて本当のことすら話せない状態に陥っている。麻生氏の様にズバッと答える政治家はメディアから嫌われる、他方岸田氏の様に原稿を読みながら記者団にもこたえるという姿勢はメディアから好感を持たれてきた。この両者を比べどちらが政治家として頼りがいがあるか、いうまでもなく麻生氏のほうと答えるのが子供でも分かる。岸田氏の対応では子供たちですらリーダには選ばないということだ。

メディアのおかげで一国のリーダになったが、外交はアメリカの言いなりのカバン持ちであったことは誰の目にもわかる。サミットでゼレンスキーを招いたのもホスト役の当人でなく他からの要請であったということが如実に証明している。

石破氏が長く政権を維持できるかは非常に不透明で自民党は改革するにせよあくまで保守という座は守らねばなるまい、もし仮にこれを超えて野党と連携して是々非々の対応なら党員をはじめ国民の多くは何のための与党であり自民党かと自民党離れを加速するだけだろう。次の選挙が近い将来に行われる、自民党の投票は前回以下の大きなダウンは必至である。メディアという訳のわからない魔物にすがって票を伸ばす、そのための布石が小泉氏の選対起用の表れである。二度と「刺客」などといった場違いの言葉は使わないことだ。

ついでにネット上に掲載している文章は誰の発言か、「駄々をこねる子供のよう」と高市氏を批判していたがどちらが子供なのかジャーナリストの発言は非常に誤った発言であり無礼千万の発言だ。だだではない、それだけ気骨があるとほめるべきではないのか、決選投票で多くの議員に無視された自分への怒りと石破氏とは考え方からすべてあくまで平行路線である。寧ろ誘いをかけた石破氏を非難すべきだ、お情けのような甘い情けこそ無礼であるが、思いもよらない議員票に後ろめたさがあっての総務会長席への誘いと取るのが妥当な考えである。

ジャーナリストたちの中にはこうした人間としての良識にかけているものが多くいる、たかがチンであることを忘れてはならない。己の行為が社会を変え政治を変え人間を変えるなどとんでもない思い上がりだ。しかしこうした輩の前で己の損得勘定に走る議員たちが多くいたことは情けない。これでは日本をよくすることなど端からできないことだ、反省してもらいたい。発言の自由は結構だが的を外した暴言は慎まなくてはいけないということだ。


2024.09

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