移民の国アメリカ主義が正しいかを問う |
私はアメリカという国がどういう国か詳しく知らない、だがテレビニュース等の情報からアメリカという国の概要を知ることができた。それは移民の国アメリカの考えが世界に対して正しいとは言えないということだ。例えばウクライナロシア戦争の何が発端かについてもアメリカという国が大きく関与していることが分かる。アメリカという国が移民の国ということから自由と民主主義という思想が育まれてきたことも判断できる。
この自由と民主主義が世界各国に通用するかというと必ずしもそうではない。対する共産主義や独裁国家であれである。我が国も戦前までは天皇第一の独裁国家に準じたものであった。それはそれなりに歴史という深く動かしがたい何かがあるからだ。その何かとはこれはフランスイギリスなどにも同じだが、然らばなぜ天皇や王が生まれたかである。地球上に生まれ育った人間は自由で平等でなくてはならない。それがいつの時代から天皇が生まれ王が生まれ崇められ独裁者のような人間ができたかである。人間というものは集団の中にあってどういった行動をとるかである。すべてがすべて気に入った人間同士ということが不可能である。隣人を憎み己の考えと違った人間を疎外し、力ある人間に頭を下げ従うという人間も一般的に多い。こうした人間の生まれながらの資質が神のように崇める天皇や王をつくってきたといってもよい。
ところが歴史も浅くアメリカ大陸に流れ着いた移民軍団は互いの協調無くして生き残れない厳しい環境下を各自が持って生活する手段を覚えた。少数派の原住民達には酋長という独裁者権力者がいた。それに従うことができない移民団は武力をもって彼らを制圧し領土を独占化して成り立ってきたのがアメリカの歴史であろう。それらを破壊するために移民軍団たちは一方的に何をたかである。
それは武力や経済力といった力で抑え込もうとしてきたのがアメリカのグローバル化推進である、わが日本もその影響下にあってグローバル化を進める政策や経済支援が多くみられる。そもそも移民がなぜ発生しているかを考えなくてはならない、大きな要因は戦争難民であり、経済的困窮難民である。
この両者の発生源となっているのがアメリカである、自由だ民主化と世界の国々に争いの火種をまき散らしてきた。自由と民主化と理想主義をちらつかせてきたのもテロや紛争を予期しての政策である。こうして自らの国が起こした戦禍や経済困窮者の難民を受け入れるには寛大でなくてはならない道理がある。火種をつくりそれをもみ消そうとするのもアメリカという国の一面である。
フランスやイギリスなど未だに殖民地を支配している国々は移民に対しても寛大でなくてはならなかった、しかしこの移民政策が自国民の不満を募らせている、労働疎外であり経済的な負担増である。
11月のアメリカ大統領選もこの移民問題が焦点である。前回の選挙結果を不服としたトランプ氏の抗議も移民である。移民たちはアメリカで期日前投票を済ませ自国に出国しまたアメリカに戻って再度投票するという二重投票問題がそれである。これは事実ならいやこうしたことが可能な国であるからこそ選挙の公平性が問われるのである。移民排除の考えを人権問題と結びつけて判定することが正しいのか。
世界各国が自国第一主義に徹するなら移民や難民の数は減ろう。このような人間が作り出す移民や難民のことを改めて批判し反省しなくてはならない。ウクライナロシア戦争も戦争中止と多くの国は呼びかける、だがアメリカを中心とした国々は反対する。戦争がなくなって平和になればアメリカ経済は衰退する。だから少しでも戦争を長引かせる、そのための武器の製造によって経済をまわしてきた。
自国第一主義は当たり前のことだ、この当たり前もアメリカバイデン政権では気に入らない、なぜなら移民によって大統領選を勝ち取ったからだ。ここをしっかりと抑え判断しなくてはならない。絵に描いた餅とはまさにアメリカバイデンの掲げた自由と民主化ではないか。日本はじめEUはこの絵に描いた餅を食べさせられ一時の満腹感を味わっただけである。
全世界が自国第一主義に徹するならば自国を捨てる人間もなくなるだろう、この理想的な世界を築くための努力が必要だ。後進国支援だ人件費は安いと経済ばかりに目を奪われてきた資本主義の過ちを反省すべきである。それぞれの国は力量に合った生活で満足すべきである。これを傍で挑発し不平不満を募らせようとするおせっかいはご法度にしなくてはならない。アメリカに求めるのはこのことだ。世界の平和を願うなら自国を大事にし他国の干渉をしないということだ。
アメリカ大統領バイデン氏に変わり世界は戦争という悲惨な時代になった。アメリカは反民主化の国々に圧力をかけ暴動を扇動してきたといってもよい。その煽りがウクライナロシア戦争はじめイスラエルパレスチナ戦争だ。
これでよいのかアメリカの民主化運動が本当に正しいなのか考えなくてはならない。ロシアはじめ反アメリカの国々にはそれなりの歴史がある。共産主義が誤った考えと思うのは資本主義者や自由主義者である。
世界はアメリカという奢った考えがこれらを受け入れらない国々を敵とみなし圧力をかけ従わないと力で征服しようとする、その手段は必ずしも武器ではなく経済という金力である。世界はアメリカの考えは難民としてまたは亡命して流れてきた移民の国であるからだ。
人間にとって幸せとは何かを考えなくてはならない、それは裕福という金の力だけではない、人間同士が助け合い思いやるというところに幸せがあるだろう。例えば地震など被害に合った地域を見ればよい、確かに家を失い家族を失うという悲しい事実はある。だがそうした被害の先では互いに助けい思いやるという人間関係が生まれ、悲惨な目に遭った者同士という連帯感が生まれるからだ。そこには差別などない格差もないみんなが同じように悲しさと貧しさを味わうからだ。
これが人間の幸せと言い切ってもよい、だが反対する人間たちもいる、金を稼ぎうまいものを食べ高級車を乗り回したいという人間たちである。だが本当にそれが幸せなのか。ここが資本主義と共産主義の違いではないか。資本主義は独裁者では治められない、共産主義はだれかが指導的立場に立って民衆を治めていかねばならない。
水俣病問題も半世紀以上たった今日も解決していないというのも資本主義国家であるからだ、利潤先行の結果である。同様な問題は共産主義国家では生まれない。民主化を進める資本主義国家アメリや日本は人間同士が助け合うという心が薄れ経済優先の消費文明をつくってきた、他方貧しくも格差のない暮らしを望む共産主義国家は互いを思いやることによる人民第一主義文明をつくってきた。その双方をみて独裁者のため自由な発言もままならないことに不満を持つ人間はアメリカなどの考えを真に受けまたは洗脳される。一方例え独裁者に従い多少の自由はなくてもみんなが平等にそれに従うならよしと考える。
戦前の日本はどうか天皇制の下ではお国のためと自爆していったあの人間たちをどう考える、お国のためとは天皇という独裁者ではなく国民全体を指している。戦地においては戦友という強い絆に結ばれ一般国民は助け合うという心で互いに付き合ってきた・この尊さは何も戦争を美化しているのではない人間とはそうしたものだということを伝えたい。
移民国家アメリアのように歴史も浅く奉る人間もない国の考えは歴史ある国からみれば合理的で自由平等という規律のない国家に見える。自由とはある規制の下で生まれるもので規制下にない自由などあろうはずもない。いつまでも絵に描いた餅に現を抜かしている時代ではない、目を覚ませと呼びかけたい。
2024.6