差別と区別を使い分ける社会こそ大切

差別は好ましくない、しかし区別はきちんとするべきである。この差別と区別が混沌としてきたのがグローバルの世界である。差別というのは何れの国にあってもよくなことだが、区別は国それぞれで重要なモラルでもある。だが考えればこの区別ここそ世界人類の中で大変重要な道徳観念であることに変わりない。あるテレビ画面に刺青を腕にした女性が街を歩ていた。ぞっとする、日本でなくてよかったと思う。

この入れ墨にせよ日本ではやくざの世界と区別しそれ相当の差別をしてきた。これが日本社会の常識である。刺青をして闊歩する女性たちが現れないことを祈るのみである。昨今異国同士の結婚も流行りだした、.これにも危惧を感じるのである。世界中皆が同じだという考えは考えの範疇であって実際の生活に取り入れることは大きな過ちを犯しかねない。

学生服、水着にも男女の区別のないジェンダレスが浸透しつつある。これが本当に良いことか関係者に問う。これは決して正しい選択ではなく誤った行動を齎す何物でもないことを告知したい。

男女の区別のないのはロボットの世界である。生きている人間が男女の区別なく生活するならそれはまさにロボット化した社会である。男性は女性を区別し女性は男性を区別して互いの魅力に惹かれるものだ。これを無くせば男女の結婚から子孫繁栄という道は閉ざされることになる。ここに男女の区別ということが非常に大切ということが分かるだろう。政治家は男女の差別と区別を混同し、どうでもよいような規則や法律を作る。

異国間同士の結婚もこうした観点から言えば好ましくない選択であると受け止めてもらいたい。例えが悪いが動物や植物の世界で外来種と呼ばれる生物たちをみれば分かるだろう。人間と雖も生物に違いないことに気づけば分かることだ。

刺青で闊歩するのは日本でなく他国でよい、女は女らしく男は男らしく生を受けたことへの感謝をもって生きていくべきである。区別のない社会はロボット社会であり習慣や道徳といった感性が失われた人間社会のことである。


2024.7

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