モノいえば唇寂し、悪い社会になったものだ

ここ数年、発言問題が取沙汰されて久しい。昨日静岡県知事の入社式での発言が職業の差別発言だ蔑視だとメールやらが殺到したと報じてきた。知事はそれを受けて6月の定議会で辞任する意向を伝えたというがその発言は責任云々と騒ぐほどのことでもない発言である。野菜農家や畜産農家はどう受け止めたか、当人たちだって「そりゃそうだ俺たちとはわけが違う」と一笑に伏しても目くじら立てて怒ることはないだろう。これが世間の常識である。

さてこの常識がいつの間にか一部の団体や個人によって大きく変えられてしまったといえないかである。今回のメール等の発信者を確かめればよい、ある団体の何人かまたは個人が何回も抗議のメールを送ったとみても間違いはないはずだ。一般人はそれほど今回の発言に関心はない。テレビが騒ぐから「そうかもっともだ」と頷くだけである。

全てはテレビなどマスコミが騒ぐから大げさになるのである。悪い世の中とはこうしたことを指す。黙っていれば何のことはない。このところ取るに足らぬ発言がテレビに取り上げられ大きな問題となって発言の撤回だ辞任だと騒がしいくなる。これでは本当のことを言うにも一言一言に注意して話なくてはならない何と窮屈なことだ。

岸田総理が原稿を読みながら取材に応じる姿をみて何ともだらしない総理と映る。原稿がなければ話すこともできない無能な人間に映る。こうしたこともある団体個人つまり発言にたいして常に注視監視する輩がいるということだ。人の行動を監視するような人間たち、こうした人間こそふさわしくないといえないか・

女性たちの地位向上社会進出の悪い面がこうした形となって表れたといってもよい。良い社会とは何かを考えて欲しいものだ。多少の悪口に目くじら立てることのほうが余程間違っていることを指摘する。井戸端会議然りである、その延長が井戸端では済まなくマスコミを通して社会問題まで発展させてしまうのである。悪しき社会の見本である。今回の発言は職業の差別だと取り上げるほどの発言ではないということだ。


2024.4



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