大切な女子供の解釈と男女の持ち場
昔から女子供という言葉を耳にした、多少間違ったことをしても女子供のことだから仕方ないという大人の男たちの寛大さを表している。このことに今の女性たちは怒るであろうか、一般的な女性は老いも若くも「そうだね」と肯定する。それは自分たちにも男性にはかなわない力というものを自覚しているからだ。例えば学力試験においてもあるいはスポーツの世界においてもトータルでは男性のほうが女性よりはるかに上回っている。
こうした性差の差つまり能力差をわざと差別だと息巻く女性たちが一部にはいるから始末が悪い、だが冷静になって判断してもらいたい、いかなる動物も性差はある、それを上手く使っているからこそ絶滅の危機を脱しているのである。わかりやすく言えば持ち場をしっかりと守っているということだ。この持ち場を違えれば絶滅の危機になることを本能的に知っているからだ。
このところの世界はウクライナロシア戦争など一部の小競り合いがあっても世界大戦に比べれば規模は小さく平穏な時期が続いてきた。そのため女性に対する見方も変わり女性の活躍を期待するリーダーたちが増え、何でもかんでも持ち場などおかまいなしに男性と同等な地位に押し上げようとする対策をとってきた。ここに大きな過ち落とし穴がないか考えなくてはならない。
持ち場といいうものはいついかなる社会においても重要なことだ。そこには必ず約束事が生まれる。この約束事なしでは世界は無防備となり内部から外部から相互の危険に冒されるのだ。男は男としての持ち場、女は女としての持ち場というものがあることを再認識していただきたい。この持ち場こそ男女平等の礎となってきたのである。
2023.4