NHKにもの申す義務と公共性とは何か |
国民の義務として受信料の請求を求めるNHK、然らばNHKの義務は何であるかを考えてみよといいたい。公共放送とは建前で実行しているのは民放紛いの番組作りではないか、一民間企業のお笑いタレント軍団と契約して様々な番組づくりをしてきた。これは公共放送つまり法人として一民間企業の利益になる契約は独禁法にも抵触する違法行為である。
また受信料を集めるだけ集め放送の内容ときたら十数年前の内容と比べ一転しお笑い芸人を随所に宛がいひどい番組も多い。また「鶴瓶の家族に乾杯」ときたら20年数年以上前から続けている。一部の視聴者には満足であろうがそうでない者にとってはこれほどつまらない番組はない夜のゴールデンタイムを20数年台無しにしてしまう。公共放送とは受信料を納めている全世帯にこたえられる番組作りが義務である。
年末の紅白歌合戦も出場歌手の基準があいまいで古株の歌手や似たり寄ったりの歌とダンスのチーム歌手軍団の入り混じった騒々しい音楽が年末の夜を謳歌している。内容のある静かな年越しを考えている高齢者にとってはこれほど騒々しいものはない、折角の大晦日の夜も酒が進まずふて寝する始末だ。一言いうなら高齢者のほうが受信料を払っているのではないか、そうしたことは無視しどんちゃん騒ぎで幕を閉じる。
こうして率直な意見を書いてくるとNHKの番組制作者の人物像も視聴者のための番組でなく自分たちだけの番組作りをしているようにみえる。つまり視聴者の立場にたっての番組が皆無といってもよい。ついでに昨年の大河ドラマもお笑い芸人を使っているため折角のドラマが台無しになる一コマもあった。今年の大河も「どうする家康」と今までの家康像にない演出を試みているようだがタイトルからして番組制作担当の気に入りのようにみえる。
ドラマばかりかニュース番組のタイトルも「シブ5時」などいったいどういう意味か担当者しかわからないタイトルも勝手気ままに視聴者を無視し面白おかしく変わったネーミングでおどけて見せただけだ。ここに今のNHKスタッフの人間性をみるのである。こうした人間の作る番組もおよそ見当が付きテレビを見る気がしないのである。受信料だけは請求しその代償たる番組がこうも杜撰なものならばそれぞれの世帯との受信契約に切り替えるべきであろう。
その昔NHKは堅いといった理由から民間から会長を招き番組にその成果を出そうとお笑い芸人を随所に使いNHK社員を民間に転職させるやり方など小汚い手口が覗いた。視聴者からみて感じの良かった男性社員は次から次と画面から姿を消していった。残ったのはお笑い芸人もどきのいい加減なスタッフである。さらに去っていく男性社員に変わり女性社員がNHKの中心となって相手男性はお笑い芸人で賄うようにした。ここにNHKの体質が覗くのである、いい加減で慢心した組織の顔である。
すべての世帯から受信料を奪い粗悪な番組づくりばかりではまさに詐欺師と呼ばれても仕方あるまい。今年度から会長も変わると聞く、民間人でない人物と聞くがぜひともむかしのNHKに戻ってほしい。ドラマにも金をかけ歌手など二足の草鞋の役者ではなく基礎力のある劇団社員や歌舞伎役者などで役作りをした大河ドラマにしてほしいものだ。20年以上前か大河ドラマ「独眼竜政宗」、「おんな太閤記」などは今でも脳裏に浮かぶ素晴らしいドラマだ、現代版では土曜ドラマ「系列」を筆頭に忘れない名作が数々あった。
今後のNHKに期待するのは面白おかしくでないまじめなNHKでよい、実のあるドラマ作りと紅白歌合戦は以前の選定基準を導入するなど実力派の歌手とその年の活躍した歌手の歌合戦にしてほしい、いうならば視聴者が何を望んでいるのか視聴者の立場に立った番組制作を期待する。
2023.1