ありがとう御嶽海8年の思い出 |
今日大関を降格しさらに再挑戦もむなしく6敗を喫した。だがいつまでも御嶽海という力士の名は生涯心に刻まれていくことだろう。18年前の中越地震で皆川雄太君という少年が三日三晩車中に残され奇跡的に救出された映像は今も心に新しい。その雄太君の面影が東洋大学を出学生横綱、全日本横綱の輝かしい成績を残し相撲界に入った御嶽海に重なった。入幕から十両までの昇進の速さは角界一であった。
午後3時からのテレビ放送に姿を出すようになって初めて皆川雄太君そのものの顔立ちにそっくりな御嶽海に勝て強くなれ!という願いがテレビにくぎ付けになる日が続いた。それまで一切相撲に興味のなかった私と妻は御嶽海の取り組みになると何をおいてもテレビを点けるようになった。とんとん拍子で幕内に上がり殆ど負け越しのないまま小結まで昇進した。
そして関脇になってから一層力を入れて声援した。今までの人生にない楽しみが私どもの生活に入り「御嶽海はどうだった」とそれまで会話もまばらだった夫婦間の会話も多くなり御嶽海という力士の存在が大きく私たちの心の中を占めていった。5時を回るとテレビの前にくぎ付けとなり御嶽海への声援に力を入れた。負けるとため息が出、勝てば小躍りしてして喜んだ。
8年が経った。大関に上がりそれまで以上に力が入った。皆川雄太君はもう二十歳を迎えている頃か、とその思いは御嶽海にすべて預けられた。大関から横綱を目指せと常に願った、神頼みもした。だが残念だが関脇に下がり今日の日を迎えてしまった。このままでは関脇の座も危なくなった。先場所からどこか体調が悪いのか、右肩が完治していないのか、初日二日目の取り口は厳しく大関復帰を目指す顔だった。しかしその顔も3日目以降は目つきも変わり勝負師の顔から遠ざかった。
NHKはじめ相撲界の疑惑はここ数年続いてきた、組織ぐるみの八百長と貴景勝を批判した。テレビを点けても御嶽海の出番になるとカメラはどうでもよい支度部屋の様子やら解説者席に画面を変えるなど制限時間一杯にならないと御嶽海にカメラは向けられなかった。こうしたことがここ数年続き、NHKも相撲協会との深いかかわりのあることからわざとカメラを切り替えるといった意地の悪さに腹が立った。
そうした各界の御嶽海への冷ややかさとライバル貴景勝擁護の八百長もどきの組み合わせに嫌気がさしたのではないかと思うこともある。御嶽海の本心は判らないがどうもそのあたりの空気の悪さを感じているかもしれない。
このまま関脇を陥落し平幕になっても御嶽海への声援は常に変わらない、8年間それまでの私の人生に灯を与えてくれた御嶽海への感謝は何物にも代えがたい貴重なものだった。時は流れていく時代も変わる相撲界も目覚め変わっていくことだろう。その時まで気長に御嶽海の横綱昇進を待つことにしたい。
2022.11