またかの発言問題うんざりする国会劇 |
今回の発言は、ごく普通の国民ならなにもそう目くじらなど立てない、むしろ取り上げる人間たちの方こそおかしいと思うだろう。ここ十数年、政治家の発言が何度と国会審議を停止し責任追及の論戦の末、発言の撤回から辞任で幕を閉じるパターンで終わってきたことかよくよく考えていただきたい。無駄な論戦というほかない。人間である以上失言は当たり前のことではないか、たとえ大臣などトップの人間にせよ。
常に発言問題となると、テレビなどメディアからはだれがどのようになぜ、といった発言側と聞き手側の状況までは伝わってこない、ここに問題がある。例えば支持者たちの会合やごく親しい仲間からあるいは記者団から「法務大臣という要職を受けてさぞ大変でしょう」といった質問や賛辞を受ければその返し言葉として「イヤー死刑のはんこを押すだけの地味な仕事ですよ」と軽く答えるだろう。何も問題沙汰になることもない。
問題なのは大臣という要職にある者が追及されれば二言目に「撤回します」と頭を下げることだ、これほど無責任な態度はあるまい。撤回して済むような問題なのか考えてみたまえといいたい。こちらのほうが大臣としての資質を問わねばならない。発言には責任をもって毅然として反論すべきである。
また多かれ少なかれメディアの情報は発言の語呂そのものを取り上げ前後の経過など詳しくは伝えてこない、常に側面だけを伝えてくる。ここに問題がある。だからこそフェイクと指摘されることもあるのだ。発言の一部の言葉を取って伝える報道は決して正しい報道の在り方ではない。
またかというのはこうしたばかばかしい問題が再三取り上げられてきたことにある。そして結果は発言の撤回、もしくは辞任することで事は決着する。日本という国のお粗末さにらしさにうんざりする。人間だからこそ冗談も出る、失言だって出る、その一言一句に目くじらを立てるなどむしろ異常ではないのか、全体をとらえ聞き流す度量が人間には大切である。正に無駄な論戦と程度の低い政治家たちの国会である。
2022.11