真似された犯行、目からの情報悪

常々考えるのがテレビの功罪である。テレビは人間をだめにするとは数十年前昭和30年代のある映画の中のセリフと記憶している。人間をだめにするばかりか目から入る情報は真似をする人間がいるということだ。昨日九州で京王線での無差別殺人事件を真似た事件が起こった。犯人は.東京の真似をしたと供述しているが、真似をしたくなるような映像がTBS系のテレビから流れていたことも事実である。

電車内で緑色のシャツにブレザーを着こなし両足を組みたばこを吹かしている様はまさに英雄気取りそのものだ。.これをみてかっこいいと感じたのだろう。犯人に確かめなくてはわからないが、確かにいただけない映像と受け止めていた。テレビは朝夕何度と同じ映像を流していたが、テレビ側はこれを真似して犯行に及ぶ人間はいないと判断してのことだろうが、それにしてもである。

いかに自由とはいえ担当者は映像を確認し流すべきものかそうでないものかくらいは判断して流すべきである。目から入る情報は新聞などとは違い直接脳に刺激を与えいつまでも記憶に残ってしまうものだ。そのためにも放映には十分神経を使ってほしい。今回の映像ばかりか連日放映されるドラマもそうである。たとえフィクションであっても気を付けなくてはならない。

こうしたテレビの真似事事件は従来から指摘されてきた。老人をバットで殴る少年たちの事件などその記憶はいつまでも忘れない。また警視庁関連のドラマが多く流れるがフィクションかどうか紛らわしいほど現実味のあるドラマばかりが多い。捜査にあたる検事や警察官がかっこいいのか、捜査を潜って逃げ延びる犯人がかっこいいのか、人それぞれの受け取りようもあろう。

あくまでドラマであり空言だと割り切れる人間はよい、だが今回の事件を起こした犯人のように空言かどうかの区別など大した問題ではないと受け取る人間もいる。テレビの情報は誰もが容易に得ることができる重宝なものだが、その容易さが一歩間違えれば犯罪ばかりか負の情報となって社会を堕落させてしまうことにもつながる。人間力の低下である。さらに学校においてはいじめの材料となっていくことも否定できない。

いづれにせよ情報の確かさ正しさは何より大切だがその情報が負の方向に働いている現実も見逃してはなるまい。目からの情報がいかに影響力が高いか、その力を負の方向に向かわせないためにはテレビ当局は勿論だが、第三者の立場として内容について精査し検閲することも必要である。そのための法整備は不可欠で喫緊の課題であるといってよい。


2021.11