俗悪な番組作り性差の問題とNHKの姿勢

男らしさ女らしさを否定するような番組の予告が出た。このところ公共放送とは裏腹に民放まがいのお笑い芸人の起用が増えている。それまで有能なキャスターやスタッフは挙って民放もしくは退職という形でNHKを去ってしまった。残ったのは全く屑ばかりといっても過言ではない。そのNHKが性差について意見を募集という番組を予告してきた。

男らしく生きる、女らしく生きるこれが何故自分らしい生き方を束縛しているのか、この世は男性と女性その性差をはっきり区別してきたからこそ社会の秩序というものが守られ歴史を積み重ねてきたのである。このところ一部の人間は自分の生き方に自信がないという理由を表に出し様々な不満を社会にぶつけてきた。夫婦別姓の問題も然り、これなど夫婦間で決めれば済むことである。敢えて社会の問題とする行動は、社会への不満から起こった自己中心型の人間に多い。結婚して姓名が変わるのが不都合なら結婚しなければよいことだ、これが端的な答えである。

さて、女らしさ、男らしさの問題であるが、その前に人間らしさ、人間らしくということはどういうことか、人間は人間らしく生きろという言葉は誰人も異存はあるまい。人間だからではない人間としてこの世に生を受けたからには社会の秩序、つまり集団の倫理というものに沿った生き方をしなくてはならない。これは誰が決めたものではない、生きていく中で自分自身が身に付けたものである。

男性と女性これを人間として差別してはいけないことは当たり前である。しかし区別しなくては円滑な社会生活は営めない、結婚とは子孫繁栄つまり人間社会を継続するために不可欠な生業である。それを考えれば男は男としての歩む道があり女は女として歩む道がある。その道をなくせば男女ともにどうして生きていけばよいのかわからなくなってしまう。

だからこそ男はこうあるべきという教示が必要であり、同様に女はこうあるべきという教示がなくてはならないのである。平等、均衡ということはプラスマイナスがあるから均衡が保たれている。男性、女性を意識しない生き方はこのプラスマイナスを無視した偏った方向に社会が向かっていくことと同義である。

今更こうした問題をテレビで取り上げる人間も人間だがNHKの姿勢というものがここにも表れている。女性優先女性女性登用と女子に肩を持つ番組がその表れである。朝ドラなどはその最たるもの、すべからく女性が主人公でたくましく生きていくその脇を男性がちょこちょこついていくなど、目に余る映像ばかりである。男らしさ、女らしさなど性差の問題を取り上げる前にNHK当局の姿勢を改めるべきである。受信料は公平さを保つために徴収というがしからば番組の内容はどうか考えたことはあるか。

何十年も同じスタッフとりわけお笑い芸人を使いのうのうと放送している。これが公平な番組作りをしているといえるのか、朝ドラ然り変わり映えのない番組を流すということは公平な番組づくりという観点からしても不公平である。それでも受信料は徴収されている。このところ一方通行の視聴者不在の番組が目立つ、今回の性差についても社会で働き生活している人々は性差など意識しないということだ。女は女らしく、男は男らしくは理にかなった当たり前の教訓と考えている人間ばかりである。


2021.3

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