一兎も得られない政府対策と国民たち |
はや1年が過ぎようとしている、しかし新型コロナ感染は一向に収まるどころか足踏み状態が延々と続いている。コロナに慣れっこになったのか相変わらず花見だ観光と人の波は途絶えない。これではコロナ撲滅などできるはずもない。経済経済と経済界の顔色を見てその日その時の思い付き対策しか菅内閣はとれない。抜本的な発想が生まれないのかと指摘する、知恵のない対策、その上コロナを甘く見た対策、他人事のような対策としか映らない。
経済を先行させたその付けが今なお重くのしかかる。コロナの影響はなにも飲食業ばかりがえらい目にあっているわけでもない。コロナのため死んでいく人、家庭が崩壊していく現状に目を向けよといいたい。そのためにはなぜ思い切った対策が頭に浮かばないのか。思い切った対策とは何度も指摘したが、今の生活から脱皮した本当の新しい生活様式である。誰もが世界中がコロナに振り回されている今日、オリンピックだ野球と騒いでいる場合ではないのである。
新しい生活とはいままでの価値観を一新する抜本的改革である。例えば食料品等生活必需品や公共料金、給与、報酬すべてをリセットし新しいルール作りをしなくてはコロナ撲滅はできない。はっきりいえば経済を捨てるのである。最小限度の経済対策にとどめ物価から給与報酬すべての貨幣価値を半分にする。
そして、一か月最低いくらで生活ができるのか試算した金額を水準に国民全員が我慢し、最低保証の生活をする。その間をコロナとの戦いに全力を向ける。例えば夜間の外出、旅行、出張等々の禁止、。こうした厳しい規制を最低でも3か月はやってみる、そのうえでコロナ感染の動向を見る。
コロナ感染者ゼロとなってはじめて経済対策に向けて動く、こうした思い切った対策でないとこのままづるづるコロナと経済の二兎追っていくとすべてを失ってしまう。生ぬるい風見鶏対策ではすべてがだめになってしまうことだ。今こそ、すべての物価からすべての貨幣価値を半分に下げて対処する、さすれば失業や売り上げ減少で悩む人間も救われるというものだ。自国主義で乗り切っていく、こうした対策を世界に広めていく、内需拡大に向けるのが必須条件である。これは諸外国にも言えることで自国が自国で我慢せよということだ。端的にいうと令和の鎖国令である。
2021.3