本末転倒したコロナ対応、ワクチン先行か |
政府の打ち出すコロナ対策は、まさに本末転倒の対策だ。後遺症等々副作用の危険のあるといわれる未完成なコロナワクチンの導入を急ぎ、後遺症等副作用が出た場合の損害賠償を国が肩代わりするとした案、これこそ国民一人一人の命を軽視し、企業優先経済優先の対策ではないか。個々が副作用で悩んでも仕方ないといった姿勢が覗かれてならない。
こんな政府でよいものか、あまりにも国民の命を人生を軽視した対策ではないか。この時こそ安心して生活できる環境づくりを進めるのが政治というものだ。それには何をおいてもやるべきはコロナ感染をくい止める手立てを講じ、外出禁止といった厳しい特例措置と検査体制の充実を第一にする。責任逃れの姿勢から脱却し、政治家としてリーダとして決断する。
今までのような経済とコロナを両てんびんにかけた対策では事は収まるまい。世界を人類を脅かす史上まれにみる悪性のコロナウイルス、化学兵器以上の有害物質に対するには的確な判断と強い決断、早め早めの対策が必要なことは当然である。そのためには拘束力のある厳しい指示が必要だ。食生活に係わる産業業種や買い物のための外出以外は禁止しるといった強い勧告が必要である。経済などどうにでもなるものだ、コロナに負けたら人間はもとに戻らない。
ワクチンに問題あれば提供元の製薬会社を支援するなどとした策は国民をモルモット扱いにした高飛車の姿勢でありこうした政策を許すことはできまい。なによりも率先してやることはコロナ感染を防ぐための対策と検査体制の充実だ。
昨今ハンセン病患者対応で当時の隔離という差別を指摘され国の責任を問われた、これが引き金となって検査数を増やすなどの対応を鈍らせ個人擁護の姿勢が生まれたならば、らい病問題以上の過ちを残すことになろう。
これらすべて責任逃れとメディアからの批判を交わすための対策である。時間はないのだ、コロナ感染防止のため厳しい生活環境を国民誰もが共有し、「我慢」とういう二文字を胸に刻み1ヶ月でも我慢してみることだ。我慢するといった心の共有がたくましい人間を育て上げていく。我慢できなければコロナウイルスから人間を守ることなどできない。コロナと人間の我慢比べということだ。
2020.8