人間の本性・ネット社会に免許制度を |
新型コロナウイルス感染者への誹謗中傷が問題になってきたが、これが人間というものだ。誰もが表向きは理解し、穏やかに見守れるが心の中の本性はどうか、コロナウイルス感染者が自分の前に現れたらどうか、嫌がるのが普通だろう。普通というのはそうでない人間の方が異状ということだ。アメリカで黒人差別といって暴動が起きているのもみな人間本性の仕業である。
肌の違った人間が隣に座れば誰だって異様に感じるこれが普通だ。しかし人間というものは嫌がるという行為を理性で否定し表向きは温厚な顔で過ごそうとする。デモに参加しているのも自分のことではないといった対岸の火であるから理論的に判断し行動を共にできる。
その昔、ある温泉宿で「刺青者の入浴を禁ず」ということが海外の観光者から差別だとして取り上げられたことがあった。これも観光優先的な考え以上に頭の中ではわかっていても自分に直接関係ない人間は、理性的に差別という考えを持ち上げる。これらは何れも人間のもつ狡さの表れである。
人間本来の心で素直に社会と向き合うことができないものかと常々考えている。こうした性的な抑制はいつか必ずどこかで爆発する。それがウイルスへの誹謗中傷であり、アメリカの事件である。いやなものはいやと大手を振って生きられるいや生きていくのが本来の人間の生活でなくてはならない。我慢ということみんな一緒という考えが人間社会を抑制しかえって拙い社会を生み悪質な事件に発展していくと考える。
それまでの人間生活の中で考えもしなかったITの急速な進化は、法整備もままならず幾多のネット事件を起こしてきた。、この問題もネット社会を推進するという考えがのさばり、利潤と欲望が暴走しこれを止めようとする人間不在が原因であった。これらすべて高度な技術への劣等意識から逃れ優越感に浸りたい人間の本性である。
こうした問題を引き起こすのも人間の愚かさといってしまえばそれまでだが、ストップザ.ネット事件を考え十数年前から専門家の間で法的準備が進めてきたところだが、いくつもの盲点に気付かなかった、いや気付いてもそれを先行させれば開発やネット推進にブレーキを駆けるだけだと、反論してきた学者たちも多くいた。
ネット社会は、自動車社会と同じ仕組みということだ。自動車社会には道路交通法と運転免許制度がある。なぜか、思えば数十年も前には免許制度や道交法はあってもなくてもよかった社会だ。交通量の少ない時代には、道路いっぱいに走っても事故など起こらない。信号などなくても問題なし当然免許など不要な時代だった。そうした状況は多少違ってもほぼ同様なことがネット社会にもいえるのではないか。
今の時代に求めるのは、自動車社会つまり交通網=ネット網という考えだ。そのためにはインターネット利用者には免許制度を設けるべきと指摘するのである。一定の学科試験と精神鑑定等々は運転免許試験に準じる。学科試験等の合格者には、国または行政から、ID(個人識別番号)が記載した免許が発行され、そのIDと自身のパスワードを使ってインターネットを利用する。当然法的な罰則も設ける、信号無視やあおり運転といった悪質な運転同様、悪質な誹謗中傷、ネット詐欺、ネット犯罪等々・・・。もしこれに違反すれば罰則や免許取り消しの処分を科す。
起きるべくして起きたウイルス関連の誹謗中傷、誰でもどこでもいつでもといったユビキタス社会を目指すIT推進者たち。一方、それを監視する監督者不在が大きな問題であった。片手落ちの不完全なネット社会だからこそ、早急にインターネット免許制度導入に向けて取り組むべき時代である。
2020.5