賭博行為をなぜ許す、黒川問題 |
とにかく、この世はどうなってしまったか、と唖然とする事件が今回の黒川検事長の賭けマージャンである。この賭博行為は国家公務員でなくもすべての国民に対しては違反行為と刑法上はうたっている。にもかかわらず、本人の辞任を受け、その後、訓告か戒告といったまことに驚きの処分が伝えられた。民放テレビもこの問題を専門家を交え公開しているが、違法行為だとはっきりと明言するものは少なく、コロナウイルス警戒宣言自粛中の責任へとすり替え、紛らわす始末。
明らかに賭けマージャンは賭博行為で刑法上禁止されている、金銭の大小という判断は身勝手な言い訳に過ぎない。検事長という身分がどうとか関係なし、賭博は誰人がやってもいけない刑法上の罰である。
一部にせよ賭博を容認するようなカジノ誘致を推進してきた安倍内閣のその裏で、こうした賭博に対する罪意識の薄さが引き起きした事件である。何れにせよ悪い世の中になったものだ。黒川問題は、訓告や戒告ではない懲戒免職と刑法上の罰金刑が当たり前である。
さらに事ここに及んでは、安倍総理の責任は重大である。なぜならばカジノ誘致を経済対策の一環として認め、各所で推進を進めてきた発言が、こうした賭けマージャンに対する意識も、カジノ賭博の規模に比べれば小さい小さいと傘の下に隠れてしまったからだ。まさに悪しき政治は、悪を取り締まるべき人間をも悪に変えてしまうほどの威力があるというものだ。
黒川問題の陰に隠れてしまったが、賭けマジャンの仲間、取材記者とは何者か、検事長から賭けを言い出したのか記者側からか、いづれにせよ取材記者というのも、昨年の朝日テレビの取材記者同様、質の落ちたものだと、マスコミ関係者の猛省を求めたい。取材の自由は行為の自由ではあるまい。自由の掛け違いが黒川氏を陥れたのか定かではないが、取材という行為をテレビ等々で知る限り、ともすれば刑事か検察官と見間違える大柄な聞き取り調査もある。同じ穴の貉という言葉は何を意味する。検事も記者も同じ穴の貉か、改めて問いかける。
2020.5