北朝鮮問題を後ろ盾に強かな韓国政府 |
21世紀初頭、韓国人による集団すり事件が勃発していた、ピッキングを使い留守宅を狙った強盗事件である。それから30年、一度解決済みとなった徴用工裁判を起こし日本側に損害賠償を求めてきた。これに対して日本政府は1965年に解決済みと遺憾の意を告げるに留めた。さらに陸上自衛隊機への照射問題、いづれの言い分が正しいのか混沌となった。まさに日本外交の手ぬるさがそれを物語る。
北朝鮮問題を後ろ盾に強かな韓国への対応をどうする、日韓連携は大切だと嘯く前にやらねばならない、見直さねばならない問題がある。まず教育の問題、みんな一緒に仲良く、戦争のない平和な国にと、そして誤った個人主義の考え方など、戦後生まれの政府高官や政治家たち、彼らの根本教育が齎す過ちが外交面に表れている。それは友好という二文字が脳みその根底に叩き込まれてしまったままだからである。
韓国という民族は歴史上様々な経験を基に知恵を身につけてきた。相手を疑い陥れる、簡単には承服しないといった大陸気質の根性である。それに対し日本は、徳川幕府300年の鎖国今風にいえば保護主義が、民族の違いということに疎くなり相手の真意が掴めない民族に成り下がった。
さらにアメリカ版戦後教育は、覇気のないおとなしい良い子に育て上げてしまった。良い子とは先生の言うことを聞く親の言うことを聞く、職場にあっては上司や先輩の言うことを聞く、外交にあっては相手国の言うことを聞くなどがそれである。、
例えば照射事件では反論してきた韓国に対し、日本政府は「遺憾である」と述べるに留め、一方韓国は「無礼だ」と感情を露わにだしてきた。この差である、外交は取引だ、相手を信じてはならない、こちらの懐を見透かされてはならない、時には脅し文句の一言も、これが外交の必要条件である。強かな韓国相手に正攻法で交渉しても埒が開かない。
従軍慰安婦問題、徴用工問題、照射問題、竹島問題と様々な難題が吹き込まれている今日、過去の経緯など払拭し、互いのはらわたを覆すような痛みを恐れていてはこうした難癖ともいえる諸問題を解決させることはできない。平和条約解消結構、相互支援拒否結構の強気の姿勢こそ今求められている。怒ることを忘れては人間以下のロボットになり下がるだけである。