消費税10%一過性の恵、施しは無用

消費税10%への移行に伴い政府各界から様々な対応策が出されているが、今時の政治家は差別ということが余程お好きらしい。低所得者層という差別用語を用い対象世帯に商品券を配布するという案。低所得者層とはしからば高所得者層とは、何をもってこうした差別的な用語が飛び交うのか不思議でならない、障害者でいえばつんぼ、めくらといった差別用語となんら変わらない。

また、消費税値上げが止むなしの状況下にあって商品券等々の財源はどこにある、その程度のものはゴミくらいと考えているのか、仮にゴミ程度ものなら何も来年度10%に値上げする必要はない、正にバラマキ政策といってもよい。また商品券をもらったところでそれは一過性のもので家計にとっては焼け石に水だ。消費税率を上げるからには目先の対策ではなく全世帯にとって、全国民にとって豊かな時代となるような政策を第一に考えるべきだろう。一度口に出した公約だから今更引っ込みがつかないでは余りにもお粗末だ。

このようなちぐはぐ政策がこのところ安部政権下にあってはあまりにも目立つ。例えば学校給食の無償化、高校の授業料無償化そして大学授業料無償化と低所得者層をターゲットに差別的な政策が果たして国民は喜んで受け入れているのか考えて欲しい。人にはプライドがある、そうした国民のプライドを無視してまで敢えて低所得者層を洗い出し商品券云々授業料無償とは正に為政者の自己満足を満たすだけの悪政といわねばなるまい。

このように差別化した政策が裏目に出ればいじめや登校拒否、あるいは学習意欲の低下に繋がっていかないかである。昔からいじめられる子供は何らかの差別を受けている環境、受けやすい環境下の子供が多いということだ。給食費無償の子供は、それをネタにいじめられることだってある。学生にとっても授業料無償ということがそうでない学生に引け目を感じ、遠慮や学習への意欲が殺がれていくことも考えられる。大人社会にあっても商品券をもらっても恥ずかしくてそれを使う気になれない世帯、また申し出制をとったところで申し出ない世帯も多かろう。すべて人間にはプライドがあるからだ。

古来から「家貧しゅうして孝子出ず」という言葉がある。家が貧しいから親孝行する子供が生まれるということだが、それは苦学して立派な大人になって親孝行をするの例えである。高校、大学の授業料無償化など当人にとって何らの効果のないものだ。苦学とは努力と忍耐であり、それは環境が厳しいからこそ乗り切れるものである。立派な成人はこうした厳しい環境を乗り越えてこそ生まれてくるものだ。

はっきりと申し上げる、消費税税率アップが喫緊の課題ならその根拠を先ず国民に説明し、国民にとって納得できる政策を行っていけばそれで十分である。それが政治というものではないか、一過性の恵、施しなど無用である。

2018.11


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