優勝おめでとう御嶽海

幕下付け出しから3年半での優勝は歴代3位。今場所の御嶽海の相撲は大きく変わった。押し相撲一辺倒では限界があると知った御嶽海がいた。特に今場所は押し相撲の基本前に出ることは忘れず、だが相手によっては自らまわしをを取りに行くといった攻めも取り込み安定した内容の相撲を実践した。その結果が優勝につながった。惜しむらくは千秋楽平幕の豊山に敗れるという番狂わせが待っていたことだ。

12日目の高安戦、右上手まわしをベストの位置で取り左腕をあげて高安の体を完全に浮かしたまでは御嶽海の快勝を予想した。あまりにも有利な態勢に慎重になりすぎた感もあってか、遅すぎた次の一手、左から投げを打つと高安の姿勢は一回転した、そこに漬け込むすきがあったが、さすがしぶとさと御嶽海の攻めを知ってか、回り込む、それにつられて押して行ったが御嶽海の体制が崩れあと半歩で先に土俵を割った。しかし行事は御嶽海に軍配を上げた。即物言いがついた、高安の右足親指のでるのと御嶽海の左足の出るのがといった協議に入り結局行事指し違いの判定となってしまった。

ビデオで見ても非常に微妙な判定だ、むしろ取り直しの判定が正解ではなかったか、先場所に続き、相撲に勝って勝負に負けた一戦だった。しかし13日目の豪栄道戦はその後遺症もなく左上手をとると一気に豪栄道を送り出しの形で勝負を決めた。そして14日目、平幕の栃煌山を貫録の押し出しで破り優勝を決めた。全勝優勝こそ逃したがその内容は十分それに応える内容の優勝だった。

14年前、中越地震の惨事、道路を走行中地震によってがけ下にのみ込まれた親子3人の自動車があった。そして72時間後奇跡的に救出された男児がいた皆川優太君だ。その後優太君のことが気にかかっていたが、2年後の4歳になった優太君の写真が某朝刊に載っていた。大学から相撲界に入った当時の御嶽海の顔が優太君と重なった。

2018.7.23


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