天災か人災か土砂災害 |
先週来豪雨のため広島、岡山、愛媛県はじめ京都府、岐阜県に発生した土砂災害、テレビ映像を見るに正に地獄絵そのものであった。犠牲者も200名を超えた。なぜこのような惨事が後を絶たないのか。天罰、東北沖地震の際元都知事石原氏が記者団に語った。その語呂を取り上げ非常識だと非難してきたメディアたち。だが、その言葉は重く正しい、このところ立て続けにの災害は正しく天罰としか言いようがない。それは被害にあった地元民たちへではない、日本国民すべていや世界すべての民族に対する罰である。
今回の集中豪雨、これは自然のなす業だったのか。そうではない何か大きな力、魔物のような力を感じてならない、それは神の仕業としか思えない。古来から受け伝えられてきた神聖な神事や祭りがいつの間にか観光観光と騒ぎ立て見世物神事や祭事に仕立て上げてきた行政はじめ関係者たち、彼らに対して神は怒っているのである、神の怒りがこうした小人たちに向けられているのだ。これを天罰と言っているのだ。
国内を見れば学校給食もままならない家庭がある一方、塾に通いのうのうと何不自由なく過ごせる家庭、この格差は、年収1千万円を超える家庭もあれば100万円そこそこの家庭もある。この格差社会を放置し、やれ海外だ国際社会だといい面をしてきた日本の政治家たち。この災害時、国会で論争している議員たちは誰のために働いているのか、災害現場は人手不足の中懸命に後片付けに追われている。国会議員ならこの時こそ被災地のために協力すべきではないか、国会を閉鎖し、議員全員出動となればどれほど助けになることか。こういう時だからこそ一肌脱いで被災者のために手助けする、これが本来の政治家たるものの務めではないか。と言いたい。
また今回の災害は、治山や治水工事といった公共事業を蔑にしてきた結果が生んだ惨事であり、人災である。水を治める者は国をも治めるという言葉を今こそ思い起こしていただきたい。また、神事や祭りを観光目当ての行事に仕立て上げてきた関係者たちは大いに反省しなくてはなるまい。
テレビ映像から見る凄まじい光景は決して自然の力だけでは生まれまい。天罰が下った人災である。被害にあった人たちに何の罪はない。すべては国政や行政を司る時の権力者たちに向けての神の罰、天罰と受け止めなくてはなるまい。二度とこのような惨事を招かないために何をするか、治山治水工事はもとより観光目当ての神事や祭事を慎み、本来の姿神への感謝を捧げる行事に戻すことが大切である。
2018.7.11