世間騒がせなメディアという魔物 |
次から次へとスキャンダルを嗅ぎ付けお茶の間へ情報を流し込んでいくテレビメディア。日大アメフト事件が何故にこれほどまで大きくなってしまったのか甚だ疑問である。これら競技中のトラブルは当事者間の問題として解決すべきものである。それがどこでどう間違えたのか、大学双方の歩み寄りは難しく解決するどころか対立感情までが起こる始末。さらに反則をした選手をわざわざ記者会見の席に付け、あの手この手の質問を浴びせ、矛先を選手個人ではなく監督、コーチへのスキャンダルとして世間に流しまくった。
例えばTBSテレビでは連日、スタジオに何人かのスポーツ関係者を招き、事件についての考えを求める。彼らはテレビ側の選んだ人物であるから局側の思惑に沿った質問にたいして答えていく、それらを司会役は巧みに操り、これまた部分的な情報であってもあたかもそれらしく映像で伝えていく。
今回の日大アメフト事件は、個人の反則行為がそれを命じたとした監督、コーチへの責任追及、さらに日大当局の運営管理のスキャンダルにまで発展していった。そして監督兼任の理事への批判が強まれば理事全員の総辞職という窮地に追い込まれていく、その結果連盟からは監督コーチは除名され、理事辞任という形で収束した。しかし反則行為した本人は、被害者側の温情もあって示談金30万円で解決した。
事件はエスカレートして被害者側から監督コーチを相手取って警察当局に告訴状が出された。それにしても以前から大学間では様々なトラブルがあったのか分からないが、単なる反則行為がここまで大騒ぎの状態に追い込まれると、双方後には引けない事態となり意地でもという重石がのせられてしまった。
情報、その扱い方如何によっては白が黒に黒が白にと反転現象を起こすことだってある。特にメディアの情報は一方通行であり、また言葉ひとつとっても前後の関係を無視し言葉そのものを強調して流すといったことが、誤解を招きそのたびごとに発言の撤回陳謝の繰り返しがこのところ政治家の間にも目立っている。追求という一種の言葉の攻撃こそ、相互の信頼に溝を入れ誤った方向へ国民を導いていく武器となり得ることを懸念する。いわゆる情報という皮を被った一種のテロにも通じる。報道の自由ということについては、今後何らかの形で法で裏付けるような規制も必要な時代となった。
2018.6.1