個人重視、日大アメフト反則行為 |
アメリカンフットボールの試合中、日大選手が相手選手に後ろから体当たりしけがを負わせた事件、テレビ映像で見る限り常軌を逸脱したプレーに映った。当の選手についての責任を監督はじめコーチに何らかの問題はなかったかと調査にのりだした。たとえ監督なりコーチから「潰してこい」の命令を受けたにせよ選手個人の責任として罰するのが当たり前ではないか。たとえば「あいつを殺してこい」と命令されたときどうする、命令に従って相手を殺すのか、それではその人間は血の通わないロボットさながらのコマンド人間といえよう。
たとえ命令が特権的なスポーツの世界であっても、命令がすべてではあるまい、それを受けた選手側の受け取り方も様々で、それをそのまま行動に移すことは選手個人の資質の問題である。今回の場合あきらかに選手個人の行為そのものを厳しく律しなくてはならない。
今日すべてにおいて個人の責任を団体や学校等、他に振り向ける風潮があまりにも目立つ。個人という人間重視の考えこそ重要である。映像を見る限りプレーに全く関係ない無防備といえる相手選手の後ろからタックルするなど明らかにスポーツマンとしてやってはならない反則行為である。
選手本人の記者会見、誰が仕組んだものかメディア側の独断で席を設けたのか、学校当局の了解を得て行ったものかその点は定かではないが、席上での発言は誠に天晴なものだった。誰が見ても聞いても納得し選手個人の責任はどこ吹く風の独り歩きをし、監督、コーチの対応への不信感が一層強まる会見となった。何れにせよ反則をした本人を記者会見の席に呼ぶということ自体常識では考えられない。
日大側は緊急の父母会を開いて今後の対応を検討するという、まことに嘆かわしい限りの大学運営である。大人である選手個人の責任を反故にして、いまだ父母会というものの存在に唖然とする。反則プレーを行った個人を厳しく律せず何が未来ある学校運営ができる。学生一人一人の質の向上こそかけがえのない宝となって社会人としての成長を促していくものだ。
2018.5.24