これどよいのか名護市長選

名護市長選は、自民公明推薦の新人、元市議渡具知武豊氏が3000票余りの差をつけて現職の稲峰氏を破ったというニュースが入った。地域活性化策が米軍基地の縮小と住民優先策を破ったことが沖縄県民にどう映ったか、企業優先経済重視の考えが自然環境の破壊と生活環境の保護を蔑にした結果のように思う。政府は現職を破ったことへの評価と辺野古への移転計画がスムースに行われることに満足しているようだ。

住民が大事か金が大事かと極論を言えばこうなる。そこに住む人間一人でも騒音に悩まされているのを見逃すことが人間として正しいことか考えていただきたい。日米合意を盾に金と権力で抑え込むやり方が民主政治なのか。辺野古移転を容認する渡具知武豊氏に投票をしたのも当事者である名護市民である。

基地をなくすことが沖縄県民の願いであり総意ではなかったか、知事選で翁長氏を選んだのも基地をなくすという公約に賛同して一票を入れた筈である。ところが名護市市長選となれば政府関係者からの探りや依頼もあってか補助金等々を目論み市の活性化を訴えた渡具知氏が当選した。ここに県民と市民の間の矛盾点、しいては沖縄全体としての矛盾が残った。基地のためにその騒音やトラブルに悩まされてきた住民たちへの配慮はどうなってしまった。

日米合意といえどもこの問題はアメリカの一方的とも思われる要求を鵜呑みにした弱体国家の表れであることは衆目の見るところである。正義とはなにか、政治が正義から離れればどうなるのか、経済ばかりに目を向け金目当ての政治が蔓延し格差社会を広げていくだけである。それが今回の名護市市長選に表れた。辺野古の自然を守るという運動はどうなったのか、自然が産んだ尊い財産を失いそこで暮す住民の環境悪化を許すことが正しい選択だったのか。現地のことは現地に住んでみなけりゃ分からない傍でとやかく言うことはないという前に、今沖縄に何が必要かを考えれば騒音のため事故のため日常生活を脅かされてきた人々のことを真っ先に考えるのが人の道であろう。たとえその数が少数であってもだ。

何万人が喜ぶ中一人でも苦しみ悩んでいる人がいるならばまずその人に手を差し伸べ救うことを第一と考えるのが人としての道である。この道理が分からず票を投じたならば反省しなくてはなるまい。戦争は反対と叫ぶのは何故か、それは喜ぶ人間よりも一人でも悲しむ人間を生まないために叫んできたのではないか。市民の活性化と目先のことに捉われ、国家という権力に屈した道を選んでしまった。

また、今回の選挙で3000票の差は何を意味するのか、期日前投票率が44.4%と報じられたがここにも不可解なことがある。ひとつに投票用紙への記入は何故かボールペンでなく鉛筆を用いている点である。基地反対、住民優先と考えている有権者ならば余程の用事でもない限り投票日当日に出向き自らの意思を投じるだろう。そういえば他の県知事の選挙結果も事前に報じられていたが、何れも自民公明推薦の人物が当選していることも偶然なのか。安部一強政治と報じられている今日、よもや何らかの悪手が伸びていなければよいと思うが、その昔官房機密費の使い道でもんもんとした疑惑を国民に与えたことが脳裏をかすめた。

2018.2.5


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