取るに足らない発言問題 |
政治家の取るに足らない発言でも、テレビなどマスコミ界では大きな問題として取り上げてる。例えば最近では衆議院選挙で自民党圧勝の理由として「北朝鮮のおかげ」云々の発言をめぐり、選挙への姿勢に云々という記者の質問に麻生氏は「それはあなたの考えでしょう」と念を押し、記者は「そのとおりです」と答えた。麻生氏の対応に久しぶりに政治家としての本来の姿をみた。
ここ数年、政治家の発言をめぐっては取るに足らない発言と思われるものでも根掘り葉掘りその言葉尻を捉えてはテレビは取り上げる。それに乗じるように当人に対し発言の撤回と謝罪を求める。こんな馬鹿げたことが後を絶たない。ならばはじめから発言には気をつけて言葉を選んで発言すべきだと言いたいが、しかしこれではロボットと何ら変わりない。政治家は人間である、たとえその発言が誤解されようがそれは誤解であって誤りではないのである、撤回や謝罪は必要ない、胸を張って言いきればよい。
昨今の政治家は安部総理をはじめマスコミに対して慎重かつ馬鹿丁寧な対応が目立っている。くだらない質問には毅然としてどなり散らす気構えが政治家に求められる。発言を撤回し謝罪するなど最たるもので国家の恥ともいうべきであろう。政治家の資質にもよるが総じてテレビなどメディアに気遣ってのことである。メディアを敵に回しては何から何まで不都合なことが多いと感じているからだ。
その昔、中国の政治家屈原は有能の上誰からも慕われていた。それを妬んだある政治家の讒言がもとで政界を辞し自らの命を絶ったという話がある。この讒言をまき散らしたのがチンという鳥で、そのチンこそ今でいうならテレビなどメディアに相当する。スキャンダルをネタに飛び交う記者団の行動は正にチンの例えである。
過去においても石原慎太郎前都知事が東北地震を指して、「天罰云々」の発言が問題となった。氏はなにも被災地を指していって言っているのではないことくらい誰にでもわかることだ。しかしマスコミはその言葉尻を捉え天罰の言葉を大きくテレビで放映する。テレビを見たものはなるほど拙いと受け取る。テレビは一方通行であるから視聴者側には発言の真意の選択ができない、ここに大きな問題がある。情報を信じるしかないのである。これを選挙に使えば結果は一目瞭然、キャスターやテレビタレントが議員や知事に当選する結果を生む。これなど公職選挙法の公平な立場からみれば明らかに選挙違反といえるのではないか。
昨今、テレビなどマスコミの権威が余りにも強すぎる。取材する記者団の姿勢も自分たちは正しいといった傲慢さがありありと窺える。アメリカ大統領トランプ氏のメディア批判がメディアを敵に回し連日良からぬことばかりテレビ映像に映る。どうにかならないものか、発言の自由とうそぶくなら政治家の発言だって自由であろう。ここにも身勝手なメディア側の姿勢がある。中国など共産圏においては報道を規制することもままある。すべてが誤りだといえない、わが国もメディアに対して行き過ぎた報道へのブレーキをかける時ではないかと思う。
2017.10