平成維新に期待する |
小異を捨て大同に付く、日本維新の会が新たに発足した。小異とは大同とは何か、それは消費税がどうか原発をどうするといった巷談ではなく、日本の政治をどうする、日本はどうあるべきかといった命題の上に立って、政治改革に取り組むことが大同に付くということであろう。官僚任せの政治からの脱却こそ、今我々に求められている政治なのである。過去の自公民の進めてきた政策は、官僚任せの目先の政策や、選挙戦を睨んだ謂わば人気取り政策であった。
十数年前から景気対策を打ってきた、しかし一向に改善の兆しは見られない、益々悪くなるばかりである。これは根本的に日本の政治が駄目であることを証明している。企業の海外移転と国内の空洞化を招いた大きな原因が何であったか、中国や東南アジアに生産拠点を移した企業はその後どうであった、現地の雇用は確保されても我が国の雇用は減退の一途を辿った。ここに大きな負の課題が残ったのである。
また、官僚任せの政治は、そこに取り入る連合など労働組合の要求に全く歯止はかからず、企業は海外へと移転していった。それは、常に選挙、陣取り合戦に明け暮れる政治体質の表れにほかならない。本来政治とは、その場においては社会の反発や反感を買うのが当たり前である、先見の明を持つ政治家と一般人の捉え方の違いはここにある。
日本を変えるためには、先ずアメリカという壁を破らねばならない、それにはアメリカとの対等な立場を築くことである。米軍基地の問題、尖閣諸島の問題、竹島問題、これら一連の問題は、全てアメリカ傘下の外交が齎したものばかりである。アメリカの云うままの外交と防衛、これでは日本独自で解決など出来ない。拉致問題然り、全てにアメリカという壁がその都度立ちふさがってきたことを忘れてはなるまい。
沖縄を含む基地問題、政府の云う負担軽減は口約束だけで進められた。自国の防衛は自国で行うという気まがえこそ国民一人一人に求められる。憲法9条に固執した考えが、防衛面でも全てアメリカに依存してきた、過ちはそこにある。戦後間もないアメリカ統治下の憲法は、現代にそぐわないことが余りにも多い、日本国憲法は日本人の自主性の基で作らねばならないことは言うまでもあるまい。
戦後の日本から脱皮し、これからの日本に変えていくためには、大きな手術が必要である。憲法の改正、政治主導のための官僚という柵の撤廃など、これらを進めていく中で、初めて強い日本が生まれてくる。アメリカに依存しない日本独自の外交と経済対策、そして、社会保障と税の一体改革、教育、原発、TPPといった問題を解決していくのである。それを、石原新党、日本維新の会に期待するのである。
2012.11.19