憂鬱なこの頃の日本 |
憂鬱なのは、気に入らないことばかりが耳から目から入ってくるからだが、ひとつにスポーツがある。この国はいつからこんなにスポーツ礼賛国家となってしまったのかと思うのである。スポーツは遊びの範疇、趣味の分野と昔から思ってきた。スポーツは人それぞれの体力に合ったものを楽しみながら行うのが当たり前と思ってきた。人によっては、スポーツ音痴で何もできない人や体力的にできない人も多くいる。
そのスポーツが大きな声で大手を振ってまかり通っていることに、腹が立つのである。たかがスポーツと拗ねてみるが、今の世では勲章にもあたる名誉ある処遇を受ける。国民栄誉賞もその一つ、プロ野球王貞治氏がホームラン世界記録を打ち立てたときに新たに設けられたというが、それも時の総理大臣の胸三寸で決まったらしい。しかし王さんの記録には素直に喜び頭が下がった。スポーツとはいえ万民が認める国民的な活躍であったからだ。
その後、オリンピックで金メダルを取ったマラソン選手や、歌手の美空ひばりなどは死んでから賞が与えられるというめちゃくちゃな受賞もあった。だが、この辺りまでは納得のいくすがすがしい気持ちで、おめでとうと素直に言葉が出た。
ところが、今年の国民栄誉賞は、女子レスリングの選手が選ばれたころから、憂鬱な気分になったのである。女子レスリングというマイナーな競技?本当はどうか分からないが、今でも女子レスリングなど興味はなくあっそう、という程度でテレビを見ているだけである。
世界でレスリングに取り組んでいる女子選手たちのレベルがどうかという問題がある。マイナー的な女子プロレスを選択する女性が果たしてどのくらいいるのか、他のスポーツ例えば陸上競技やスキーやスケートなどと比較してどうなのかと思うのである。
受賞した女子選手は、テレビのコマーシャルで顔を売っている。レスリングといえば「根性だ!}と絶叫した浜口親子を見るように、彼女もやはり親子の絆、今はやりの絆という縁で受賞したとしか思えない、だから憂鬱なのである。
もうひとつ憂鬱なのが、来年の3月に開催するWBCである。ダルや岩隈が出場を辞退したというニュースがある。理由の一つが大リーグ開催に向けて調整できないというものだが、ならば何も大リーグばかりか、日本選手だって調整という点で条件は同じである。
ここに大リーグを牛耳ってきたアメリカ野球界の思惑が重なってならないのである。世界はアメリカ、野球の発祥地アメリカにはよそ者に負けてはならないという自負が強いのか。これは日本でも同じように自負を持った球団があった、読売ジャイアンツである。
お山の大将は俺様と、威張り腐るような世界が憂鬱なのである。前回もこうした出場辞退者が出たが、彼らはその後も大した活躍などしない負け犬に終わった。そこへサムライ日本の意気で出場を買って出たイチローの存在を忘れてはならない。彼の功績が優勝に導いた、その反動が大リーグ界に不快感を与え、マリナーズをシーズン半ばで退団という仕打ち?となったのかと思うと憂鬱は募るばかりである。
何れにしても、たかがスポーツがこうまで国民的英雄化させていることに民主主義とは、民主国家とは何かと政治とは別に反感が募るのである。誰もが努力すれば金メダルが取れるのかと関係者たちにいいたいのである。生まれながらの素質というものが大きく左右するのがスポーツではないか、金メダルで日本の国が世界の中でその扱いや地位が向上するのかと正したい。前となったが、東京都知事石原氏のオリンピック招致に対する意気込みだけは、彼の人間性としての負の部分ばかりが目立って、これまた憂鬱な気分になった。
2012.11.13