地震予知、専門家の責任と義務 |
過日、イタリアで地震予知の専門家6名が、禁錮6年という実刑を受けたというニュース、我々はこれをどう受け止めたか。地震予知の専門家たちは口を揃え「これでは、予知などできなくなる」と批判し、その道の専門家は未だに地震を予知することはできない、とコメントする。
昨年の東北沖大地震、専門家はこれを想定外の地震と位置付けた。そして名誉挽回とばかり、東京都心では30年間に震度8強の強い地震が起こる確率何パーセントとか、東海地震の範囲を南海沖まで修正するとか、全てが彼らのパフォーマンスのように思われてならない。地震の専門家さえ地震の予知は不可能と断言しているにもかかわらず、何故に何十年も先の予想が立てられるのか。笑い話のような学者の予測論である。
今回の判決の場合、もし仮に事態が逆で予知が外れ被害がなかったなら、この6人は何の咎も受けず、学者としての無能さを世間に晒すだけであろうか。そこが問題と指摘したいのである。
繰り返すが、地震の予知はできないと学者はいう、ならば何時になれば予知できるのか、の質問にもそれは分からない難しい問題とコメントする。然らば、地震研究所や地震予知連絡会等々の地震に関する専門機関は何のためにある。これから先何年経っても予知できない地震なら、こうした機関は不要ではないか。膨大な研究費と経費の削減になるというものだ。
今回の実刑判決を、地震等関係者は真摯に受け止めていただきたい。有罪が妥当と判断されたからには、それだけ予知や予報というものの責任が重いということだ。童話にもある「狼が来た!」と嘘をついて村人が逃げるそれをみて少年は喜び、何度も嘘をついた。ところが今度は本物の狼が現れ少年は食われてしまったという話、正にこれこそ最大の教訓ではないかと思う。
2012.10