深まる謎!尖閣諸島と政府対応 |
事実は、小説より奇なり…とは正に尖閣諸島のことを指す。明治28年、閣議において沖縄県に編入されて以来今日まで、その経緯は謎めいたものばかりである。その年、那覇在住の実業家A氏から拝借願いが提出された。明治政府は、久場島1島の拝借願いにも拘らず、魚釣島他3島を含め4島全てを30年間無償という許可を下した。このところの経緯が不可解極まるのである。
国有地が、ある個人に貸し出すからにはそれ相当の理由がなくてはならない。この常軌を逸脱した時の政府の対応が、その後の島の管理に大きな謎を残したといってよい。1918年(大正7年)A氏は死去し、長男Y氏が引き継いだ。氏は、30年間の無償期間が過ぎたのち、1年ばかりは国へ借地料を支払っていたが、1931年(昭和6年)全島払い下げの申請をし、翌年受理された。その時の払い下げ額が、1島当時の金で2,825円というから4島全てでも1万円前後ではなかったか。当時の1万円が現在の価格に置き換えてどのくらいか、甘く見ても億という単位には至るまい。
謎はこの頃から深まるばかり、第一、現在政府が25億円で買い上げるとした価格の根拠はどこにある。当時と比較しても、余りにも懸け離れた額ではないか。その後第二次世界大戦を迎え、石油の調達が困難となると、Y氏は事業を手放し、4島は無人化となった。戦後は、久場島は米軍の演習場として使用され、年間1万ドル余りの借地料をY氏に払っていた。
沖縄返還後、1978年(昭和53年)Y氏亡き後、4島全て親交のあった現在の所有者に譲渡された。その譲渡額は、約8,500万円というから、前述の政府の買い上げ希望額25億円と比較すれば如何に安いかで、一層謎は深まる。
2002年(平成14年)政府は、久場島以外の3島を、安定した管理と自然保護、島の転売に一定の歯止め、そして政府の管理下に置いて無秩序な上陸や建造物の設置に制限をかける等々の観点から検討し、翌年、年間約2,256万円の借地料を支払うことで、所有者と賃借契約を結び今日に至った。謎は、安定した管理、自然保護、上陸の制限、転売云々の問題が、当時の政府と所有者の間で何故起こったかである。
当然島の管理は所有者自身が行うものであり、それを前記の理由で国が管理するというならば、所有者が国へ管理料を納めるか、所有者自身管理不能の場合は、国へ引き取ってもらうのが常識ではなかったか。ここに、所有者と時の政府との間に何が交わされたのか、最大の謎が残るのである。
何故政府は、当時こうした道を選ばなくてはならなかったか、その背景に何があったのか、そのことには、一切触れてこなかった、その経緯もまた謎である。当時の小泉政権は、アメリカべったりの政策と大企業中心の政策に明け暮れた。そこに、無理を通し道理を引っ込めた大きな原因がなかったかである。
現在の所有者の人物像は分からない。高齢で跡継ぎがなく、弟のK氏が表に出てくるという点を考えれば、国が買い上げるのではなく、国に買い上げてもらうという選択肢が何故できなかったかである。1個人のために、毎年2,256万円の借地料を払い、そして今また25億で買い上げるとした政府、これほど謎めいた悪政は、他に類を見ないではなかろうか。
2012.09