北方龍土問題

戦後ソ連軍によって奪われた北方4島の問題は、60数年たった今でも解決どころか益々暗礁に乗り上げてきた感が強い。島ではロシア人が生活の拠点としてしっかりと根をおろし、そこには我が国が様々な方面から協力を惜しまなく支援を行ってきた結果と重なる。

どこまでお人好しの日本外交と呆れた時代もあった。第2次大戦終了間際に日ソ中立条約を一方的に反故し侵略してきたソ連に対し、日本をはじめアメリカなど連合軍は何故強く非難し、撤退を求めることができなかったか。その当時の情勢はそうした正義感だけでは解決できない事情があったであろうが。

あろうというのはあくまで想像だからである。しかし、この機を逸しては解決などどだい無理と見るのが妥当ではなかったか、中立条約は互いに干渉しないという前提のもとで成立した。にも拘らずわが日本が敗戦濃厚となったその時、北方4島に乗り込み島民を追い出し、わが領土と宣言したソ連の行動は今なお許すべきものではない。

我が国の腰ぬけ外交の歴史は敗戦という結果の表れでもあるまい、そこにはアメリカの影が大きく浮かび上がってくる。朝鮮半島が南北に分かれた背景に、ソ連、アメリカが絡んできたことにも繋がる。北方4島も同じ解釈は成り立つ、如何に返還を求めても、アメリカ、ロシアといった世界を二分する大国が存在する限り不可能である。

4島返還は時が来るまで解決はしない、今後は返還を求めるのではなく、こうした過去の付けを切り札に対ロ外交を毅然として進めていくべきである。その時こそ日米安保の力が発揮されなくてはなるまい。正に2次大戦の被害者は、わが日本といっても過言ではない。

012.02


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