日本をダメにする政党政治

野田新内閣のもと臨時国会が始まった、相変わらず野党の反対のための反対質問が活発である。政策論争などどこ吹く風である。大声をあげて中傷誹謗する国会は観るに耐えがたい、これを政治の目でなく、劇場中継として観戦するなら面白いだろう。

こんな国どこにある、いや世界中が正に茶番劇の舞台となっている、本家本元のアメリカ然り、身振り手振りよろしく政治家という人間ではなく一介のテレビタレントとなって台詞を読み上げる。このアメリカの影響は全世界にも波及し、今やこれが当たり前の政策論争の場、国会となってしまった、甚だ情けない。その昔アメリカでは、レーガンという映画俳優が登場した、正にこの時から演技というものが目立ち、ロンことレーガン、ヤスこと中曽根の軽井沢での茶番が始まりではなかろうか。

それから何年たったか、小泉という形ふりだけの男がスローガン政治を演じたことは記憶に新しい。政治家はこの時から己の容姿に気を使う者が増えてきた、禿頭では格好が悪いと鬘を着用し、テレビタレントもどきの化粧をして演壇に立つ、これが男児のやることか。その背景に、女性への人気取り作戦があった。選挙戦で勝つには女性票が必要となる。小泉に習えの風潮がこの時から始まった。

それでも昔、ロンヤスの時代でも、中曽根氏は禿頭をものともせず政治に取り組んでいた。容姿ではない中身だという考えは今どうなってしまった、選挙に勝つことだけを考えた政治家たち、徒党を組んでの政党間闘争に明け暮れている。女性という新種の目が日本ばかりか世界を狂わしていると言わざるを得ない。イギリス然り、これに立ち向かう暴徒の類、だがこれでよいのか、日本には今の政治に対する不平不満はないのか、それを他にすり替え、凶悪な犯罪、姑息な詐欺まがいの商法へと、そのけ口が向けられている。

悪い社会は政治の鏡である、政党政治という仕組みを変えない限りどの政党が政権を取っても同じ国会劇場で明け暮れていくだろう。政党ではない政治家を創出し一人の人間、政治家が政治を行う。今の政治は政治家ではない政治家集団という政治請負業者が行っているのである。

業者であるから、自己に有益な事業を推進する、この根本を直さなくして真の政治、意義ある国会は実現できまい。政党政治の行き詰まりは、日本のみか全世界にも表れてきた。新種の目をもつ女性の政治への参画が一層国家を乱し、女性の家庭から社会への進出が子育て、人間育ての基本を損なってきた。これらを含め、選挙の在り方、政党政治の在り方、政治というものを抜本的に見直さなくてはなるまい。

2011.09


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