自己記録更新のない日本陸上陣?

世界陸上も終盤にきて日本選手の惨憺たる敗北に元気どころか益々落ち込んでしまう。それは自己の記録に遠く及ばない選手が続出しているからだ。勝敗は別にして記録を更新してこそ感動を呼ぶものだ。気候風土の同じ韓国での大会を思うと信じられないことばかりだ。当事者でないと分からないだろうが、大舞台の空気に呑まれたしまった、それは端から実力が伴わない場合に発する言葉ではないか。

男女長距離陣は皆完敗だった。男子の佐藤、渡辺の結果は何を物語り教示してきたか。5000mスタート時点の渡辺の顔は自信のない既に勝敗を決めているかに映った、明らかに雰囲気に呑まれている顔だ。案の定途中転倒というアクシデントもあったが、それは地に足が付いていないために起こった事故である、条件は皆同じ。

記録的にも13分40秒前後の記録が予選通過ラインである、普段の記録からすれば難しいものではなかったはずだ。このことは佐藤悠基、絹川等他の選手にも当てはまる。何故自己の記録に近い結果が出せないのか、それは精神面でのトレーニングというより普段の教育に問題がないかである

世界の舞台に立った、それだけで満足しているようにも映るが、自己記録を更新するという闘志が余りにも欠けている.。終了後記者の質問に笑顔で答えている選手もいたが、もっと自分に厳しい採点のできる選手を育てていくことが必要だ。

他の外人選手たちが自己記録を更新していく中、日本選手の記録はというと今季の記録にも及ばないものばかりである。それは男女5000mをみてはっきりと表れた。A標準突破とは何を意味してきたのか、陸連は反省しなくてはなるまい。渡辺和也、佐藤悠基然り、自己の記録に2分近く後れをとる惨敗である。

女子長距離陣の場合、問題は走り方にあると感じた。外人選手と比較して無理な姿勢が目立つ、もっと自然な走り方ができないのか、コチョコチョ走るピッチ走法が日本選手に合っているとみる指導陣もいるようだが、それは間違いだ。人間本来の自然な走法がある、個々の体格に合ったストライド走法である。誤った教えがその選手の持ち味を殺し大舞台での自信喪失につながる、もっと自然に走る指導とトレーニングが必要と感じた。

2011.09


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