画家の妻たち |
安曇野市豊科近代美術館に宮芳平が描いた妻の肖像画がある。その作品の隣に宮の手記が寄せられていた。・・・結核で死に間際の妻の枕元にそっと蓮の花を置いた。すると妻は花の方に顔を向けた・・・私は思わず熱いものが込み上げてきた。宮芳平の妻がどういう人柄だったか、この短い文章の中にすべてが込められている。死の直前まで夫の気遣いを感じるその心づかいが画家の妻として献身的であり傍目には悲しく映った。
北海道岩内の大火でそれまで描きためてきた作品すべてを焼失し愕然としていた木田金次郎に・・・今まで以上によい絵を描けばよいのではないか・・・と励ました妻がいた。その言葉にはっと気づき猛然と絵を描きだした木田金次郎、妻の言葉にどれほど救われたか、と後年語ったという。生活のため漁師をしその傍ら片道8キロある場所へ毎日のようにスケッチに向かった木田金次郎、牡牛のようにがっしりとしたと有島武郎は最初に会った時の印象を「生まれいづる悩み」の中で書いている。
絶筆となった絵の前で一本の木を指して・・・あの木は横山の自画像です、夫はいつも遠くから見つめそして彼方へ一人去っていく姿でしょう・・・日本画家横山操の妻の言葉である。絵の前で静かに語りかけているその目がうるんでいる。
100歳を前に寝たきり状態の夫に墨を磨り筆1本1本手元に置く妻の姿、日本画家奥村吐牛の妻である。昼と晩の区別なく夜中に起きて筆をとる吐牛につきっきりで絵筆を用意するその姿は、まさに画家の妻の鏡のように映った。穏やかな吐牛の人物像から想像もできない厳しい環境が妻にのしかかっている。
画家の妻たちが必ずしも夫の描く絵を理解しているとも思われないし、また興味を持っていないと言った方があたる場合だってある。画家にとってそのことがどう精神面に影響するのか、妻たちに理解されているほうがよいに決まっている、が必ずしもそうとも言えまい。無関心でいられるほうがもっとましなこともある。だが、画家にとって安住の場としての家庭とは一体何であろう。