戦後、新憲法が発布され、天皇の地位が第1条に明記され、それまで君主であった天皇が象徴となった。しかし我々は深くそのことについて考える場も与えられず、知識人と呼ばれる専門家たちに任した感が無くはない。そこで旧憲法と新憲法の第1条の条文をもとに今までの解釈が正しいのか、検証してみたい。
大日本帝国憲法第1条は、大日本帝国憲法第1章にある。大日本帝国は天皇を君主とする君主制であることを規定した(立憲君主制)。
大日本帝国憲法においては、その第1条で、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定められており、第4条で「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」と、「元首」と規定されている。講学上は、憲法を絶対主義的に解釈する天皇主権説と立憲主義的に解釈する天皇機関説の争いがあった。
上記の憲法は戦前までの旧憲法である。以下に新憲法についての条文を取り上げる。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
さて、ここでは天皇は、日本国民統合の象徴であって、その地位は国民の総意に基づくとある。この国民の総意とは何かであるが、一般的な考えでは国民すべての総意(国民全体の意思または賛同)によって天皇という地位が担保されていると解釈されるだろう。ところがこの総意をある一部の専門家や天皇崇拝者よって天皇という地位は旧憲法下と同様な立場に歪められていないかである。
天皇を君主としてではなく、また神でもなく我々国民と同じ人間として扱わなくてはならないというのが第1条の基本理念ではあるまいか、ということは天皇に対する敬称も、「…様」ではなく「・・・さん」でよいということである。だが、長らく旧憲法下の中で生きてきた人にとってはそれは恐れ多くできないこと反対されよう。このように旧憲法下で生きてきた人間たちに配慮して、今日まで天皇に対しては一部戦前同様なもてなしをされてきた面もある。だが現在ではそうした人間たちも少なくなってきた。その点も考え、民主国家として天皇という地位について再度考えなくてはならない。
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第2条の皇室典範に定めるところによるとでは、後続の呼称について皇太后他女王という文言が含まれている。これらも早急に見直し、国民との隔たった呼称を改め国会で議論する必要がある。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
天皇の国事行為についてであるが、第7条9項にある外国の大使及び公使に対して接待職に専ら選任するのが国事行為の中心をとならなくてはならない。その他国内の被災地への見舞い、国内のビッグな行事へ参加などがこれに次いで国事の中心とする。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
内閣総理大臣の任命とは、国民を代表して任命する、これは第1条に基づいたものである。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
これも第1条に基づいたもので、すべて国民の代表として任命するものと解釈できる。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
抜粋であるが、天皇の地位と使命はすべて国民の意思または賛同の上でなくてはならないとなる。そこで冒頭述べたように天皇とは象徴であり云々の文言をどう捉えるかである、「天は人の上に人をつくらず」福沢諭吉の言葉は民主国家の基本理念である。皇族という一部の環境下を認めるにあたってもそれは国民の総意のもとであることを考えなくてはならない。
天皇の退位後の呼称についても、有識者たちは君主であった時代の慣例をもとに上皇と結論を求めた。しかし象徴であるからには国民と同様の慣例に従えばよいのではないか、退位後の呼称をどうするなど現在の憲法に即さない域に達している。天皇の死についても同様だ。30年前、昭和天皇の死を崩御といい新憲法を適用せず旧憲法下で執り行ったのにはそれ相当の理由があってのこと。
大昔、天皇誕生以前はそこに暮らす人間たちは平等であった。ところが人間の知恵と欲望の果てには武力や権力を得た有力者が現れ、君主としての地位を築いていった。それに従ってきた多くの人間たち、権力という武器のもとに何も言えずただ神として服従してきた弱き人間が、歴史が君主を不動のものとし権力の象徴として育て上げた。そこに大きな過ちがあった。人間は平等でなくてはならないという基本理念が力によって崩されてしまったのである。
そうした歴史を顧みて憲法第1条、国民の象徴とはを改めて考える必要がある。さらに将来一部の天皇崇拝者たち一部の皇族たちによって歴史を積み重ねていく中で国民の象徴が君主としての権力者、為政者に後戻りさせてはならない。そのためにも天皇や皇族という呼称と地位を無くし、人の上に人をつくらない真の平等社会の実現に向けて進むべきである。
2018.8.23
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