木田金次郎 |
1954年9月26日、北海道を襲った台風15号は、岩内の町を8割がた火事で焼き尽くしてしまった、木田の描いてきたそれまでの作品、1500点余も全て焼失した。これを機に、木田の作品は変化していく、ものの実在を描写することから、内面から象徴へと表現する独自の画風へと進んでいった。
大火後の1955年に描かれた「青い太陽」(図参照)という作品がある。厳冬の中、寄り添うように餌を求めさまよう2頭の馬、悲しみと厳しさを漂わせるこの風景こそ、木田の内面を写した自画像ではないかと思う。2頭の馬は、木田自身と夫人の姿に重なる。大火のため全てを失い絶望的な木田、それを支えてきた夫人の悲しいまでの生き様が、この絵から感じられてならない。
だが、2頭の馬に惨めさなど微塵も感じられない、逞しく生きていく姿を形に捉われず、その象徴だけを力強く黒い線で刻み込んでいく、白い景色が一層神秘的な世界を造っている、素晴らしい絵だ。
木田の晩年の作品、1960年に描かれた「東山から見た早春の岩内山」は私の好きな絵のひとつである。ゆったりと大きく描かれた岩内山、冠雪した山頂をひょうひょうとなぞっていくブルーの線が変化する陰影を表し、裾野に芽吹く木々の青はおそらくカドミュームグリーンにイエローオーカーを重ねて表現したものか、春の光にやわらかな色彩を投げかけている、正に木田の真骨頂の作品である。
木田にとって有島武郎との出会いは、一見偶然のようだが必然の出会いだったと八木義徳は回想する。人には何度かそうした人との出会いがある、しかしそれを活かすかどうかはその人の選択であるとも述べていた。
有島に出会わなかったなら・・・そんな詮索は何処かへ消えていった。木田のものを見る目と感性、そして技法は、木田自身が、自然から得た何ものでもない、独学こそ絵の基本と教えている。芸大や、専門学校で習った技法など、真の芸術家にとって何の役にも立たないことを木田の作品が物語っている。